・・・の理由で闇に葬られるかも知れないと思ったが、手錠をはめられた江戸時代の戯作者のことを思えば、いっそ天邪鬼な快感があった。デカダンスの作家ときめられたからとて、慌てて時代の風潮に迎合するというのも、思えば醜体だ。不良少年はお前だと言われるとも・・・ 織田作之助 「世相」
・・・ 看守が手錠の音をガチャ/\させて、戻ってきた。そして揃えて出した俺の両手首にそれをはめた。鉄の冷たさが、吃驚させる程ヒヤリときた。「冷てえ!」 俺は思わず手をひッこめた。「冷てえ?――そうか、そうか。じゃ、シャツの袖口をの・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・けれども、一夜、転輾、わが胸の奥底ふかく秘め置きし、かの、それでもやっと一つ残し得たかなしい自矜、若きいのち破るとも孤城、まもり抜きますとバイロン卿に誓った掟、苦しき手錠、重い鉄鎖、いま豁然一笑、投げ捨てた。豚に真珠、豚に真珠、未来永劫、ほ・・・ 太宰治 「創生記」
・・・しかして彼らはこの寒さと薄暗さにも恨むことなく反抗することなく、手錠をはめられ板木を取壊すお上の御成敗を甘受していたのだと思うと、時代の思想はいつになっても、昔に代らぬ今の世の中、先生は形ばかり西洋模倣の倶楽部やカフェーの媛炉のほとりに葉巻・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・同じ東北本線を、重吉は四ヵ月前、北海道弁の二人の看守の間にはさまれ、手錠をかけられ、青い作業服、地下足袋に、自分のトランクを背負って北へ向って行った。空腹で、看守がくれる煎大豆をたべて、水をのんだための下痢に苦しみながら手錠ははずされずに行・・・ 宮本百合子 「風知草」
出典:青空文庫