・・・紅葉の如きは二人とない大才子であるが、坪内君その前に出でて名を成したがために文学上のアンビションを焔やしたのでさもなければやはり世間並の職業に従事してシャレに戯文を書く位で終ったろう。従来片商売として扱われ、作者自身さえ戯作として卑下してい・・・ 内田魯庵 「明治の文学の開拓者」
・・・朝してこの猿芝居的欧化政策に同感すると思いの外慨然として靖献遺言的の建白をし、維新以来二十年間沈黙した海舟伯までが恭謹なる候文の意見書を提出したので、国論忽ち一時に沸騰して日本の危機を絶叫し、舞踏会の才子佳人はあたかも阪東武者に襲われた平家・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・不才の才子である。この正賓はいつも廷珸と互に所有の骨董を取易えごとをしたり、売買の世話をしたりさせたりして、そして面白がっていた。この男が自分の倪雲林の山水一幅、すばらしい上出来なのを廷珸に託して売ってもらおうとしていた。価は百二十金で、ち・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・伊藤博文だって、ただの才子じゃないのですよ。いくたびも剣の下をくぐって来ている。智慧のかたまりのように言われている勝海舟だって同じ事です。武術に練達していなければ、絶対に胆がすわらない。万巻の書を読んだだけでは駄目だ。坊主だってそうです。偉・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・軽薄才子のよろしき哉。滅茶な失敗のありがたさよ。醜き慾念の尊さよ。 Confiteor 昨年の暮、いたたまらぬ事が、三つも重なって起り、私は、字義どおり尻に火がついた思いで家を飛び出し、湯河原、箱根をあるきまわり、箱・・・ 太宰治 「碧眼托鉢」
・・・二、三十年前の風流才子は南国風なあの石の柱と軒の弓形とがその蔭なる江戸生粋の格子戸と御神燈とに対して、如何に不思議な新しい調和を作り出したかを必ず知っていた事であろう。 明治の初年は一方において西洋文明を丁寧に輸入し綺麗に模倣し正直に工・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・いかなる才子・達人にても、人に学ばずして自から得たるためしあることを聞かず。教育は全国一般にあまねくすべきものなり。 教育の大切なることかくの如し。国中一般に行届きて、誰れも彼れも学者に仕立たきことなれども、今日の事業において決して行わ・・・ 福沢諭吉 「小学教育の事」
・・・しき、醜を醜とせずして愧ずるを知らざるのみならず、甚だしきに至りて、その狼藉無状の挙動を目して磊落と称し、赤面の中に自ずから得意の意味を含んで、世間の人もこれを許して問わず、上流社会にてはその人を風流才子と名づけて、人物に一段の趣を添えたる・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・あの時邪魔の無い所で、久しく御一しょにいますうちに、あなたの人にすぐれていらっしゃること、珍らしい才子でいらっしゃること、何かなさるのに思い切って大胆に手をお下しになることなんぞが、わたくしにはよく分かりましたので、わたくしはあなたをえらい・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・これは筆を執る人の間で唱えたのであるが、世間のものもそれに応じて、漫りに予を諸才子の中に算えるようになって居た。姑く今数えた人の上だけを言って見ように、いずれも皆文を以て業として居る人々であって、僅に四迷が官吏になって居り、逍遥が学校の教員・・・ 森鴎外 「鴎外漁史とは誰ぞ」
出典:青空文庫