・・・いつぞやわたしが捉え損じた時にも、やはりこの紺の水干に、打出しの太刀を佩いて居りました。ただ今はそのほかにも御覧の通り、弓矢の類さえ携えて居ります。さようでございますか? あの死骸の男が持っていたのも、――では人殺しを働いたのは、この多襄丸・・・ 芥川竜之介 「藪の中」
・・・頂いて、国家の法を裁すべき判事は、よく堪えてお幾の物語の、一部始終を聞き果てたが、渠は実際、事の本末を、冷かに判ずるよりも、お米が身に関する故をもって、むしろ情において激せざるを得なかったから、言下に打出して事理を決する答をば、与え得ないで・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・ それからまた、びいどろという色硝子で鯛や花を打ち出してあるおはじきが好きになったし、南京玉が好きになった。またそれを嘗めてみるのが私にとってなんともいえない享楽だったのだ。あのびいどろの味ほど幽かな涼しい味があるものか。私は幼い時よく・・・ 梶井基次郎 「檸檬」
・・・叔父さんも僕もキッとなってその方を見ると、三人の人影が現われて、その一人が膝を突いて続けさまに二発三発四発と打ち出した。続いて犬がはげしくほえた。『そらそら海を海を、もうしめた、海を見ろ、海を』と叔父さん躍り上がって叫んだ。なるほど、ち・・・ 国木田独歩 「鹿狩り」
・・・ 最も抒情的なものと考えられる詩歌の類で、普通の言い方で言えば作者の全主観をそのままに打ち出したといったようなものでも、冷静な傍観者から見れば、やはり立派な実験である。ただ他の場合と少しちがうことは、この場合においては作者自身が被試験物・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・これでこの芝居は打出してもすむ訳である。 それではしかし見物の多数が承知しないから最後の法廷の場がどうしても必要である。あるいはむしろこの最後の場を見せるだけの目的で前の十景十場を見せて来た勘定にもなる。前の十場面は脚本で読ませておいて・・・ 寺田寅彦 「初冬の日記から」
・・・これらの絵はみんな附焼刃でない本当に自分の中にあるものを真正面に打出したものとしか思われない。これに反して今時の大多数の絵は、最初には自分の本当の感じから出発するとしても、甚だしいソフィスチケーションの迂路を経由して偶然の導くままに思わぬ効・・・ 寺田寅彦 「二科展院展急行瞥見記」
・・・もう一杯というところで膳を取り上げ、もう一と幕と思うところで打出しにするという「節制」は教育においてもむしろ甚だ緊要なことではないか。この点について世の教育者、特に教科書の内容に関する一切の膳立ての任に当る方々の考慮を煩わしたいと思う次第で・・・ 寺田寅彦 「マーカス・ショーとレビュー式教育」
・・・神にすべてをまかせて、安心して、自己の真を打ち出して、運命を直視し、苦しみ悲しみながら進もう。そしてシンプルな、落ち着いた、セザンヌの絵のような境地に達しよう。」またこんな事もある。「トルストイは人生の帰趣を決めてしまおうとした。そこに不自・・・ 寺田寅彦 「亮の追憶」
・・・捕物の場で打出し。お神さんの持って来た幸寿司で何も取らず、会計は祝儀を合せて二円二十三銭也。芝居の前でお神さんに別れて帰りに阿久と二人で蕎麦屋へ入った。歩いて東森下町の家まで帰った時が恰度夜の十二時。 かつて深川座のあった処は、震災・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
出典:青空文庫