・・・ わが国でも大正末期ごろにはそうした技法によって他人との接触面をカバーするような知性がはやったこともあったが、今はそうではない。愛し、誓い、捧げ、身を捨てるようなまともな態度でなければこの人生の重大面を乗り切れないからである。元来日本人・・・ 倉田百三 「人生における離合について」
・・・試みたいと思う技法は、とことんまでも駆使すべきです。書いて書きすぎるという事は無い。芸術とは、もとから派手なものなのです。けれども私は、もうおそいようです。骨が固くなってしまいました。ほてい様やら、朝日に鶴を書き過ぎました。私はあなたのお手・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・短篇小説には、独自の技法があるように思われる。短かければ短篇というものではない。外国でも遠くはデカメロンあたりから発して、近世では、メリメ、モオパスサン、ドオデエ、チェホフなんて、まあいろいろあるだろうが、日本では殊にこの技術が昔から発達し・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・広い視野のうちから一定のわくによって限られた部分だけを切り取って映出するという光学的技法は音響の場合にもはや当てはめることができない。従って画面には写っていない人間や発音体の音が容赦なく侵入してくる。しかしこの音響伝播の特性を利用することに・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・ これと全く同一技法は終巻に近い酒場の場面でも使用されている。すなわち、一方にはある決心をしたアルベールと不安をかくしているポーラが踊っている。一方のすみには熊鷹のような悪漢フレッドの一群が陣取って何げないふうを装って油断なくにらまえて・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・う言葉自身が暗示するように、たとえば日本の生花の芸術やまた造庭の芸術でも、やはりいろいろのものを取り合わせ、付け合わせ、モンタージュを行なって、そうしてそこに新しい世界を創造するのであって、その芸術の技法には相生相剋の配合も、テーゼ、アンチ・・・ 寺田寅彦 「ラジオ・モンタージュ」
・・・ 溝口というひとはこれからも、この作品のような持味をその特色の一つとしてゆく製作者であろうが、彼のロマンチシズムは、現在ではまだ題材的な要素がつよい。技法上の強いリアリスティックな構成力、企画性がこの製作者の発展の契機となっているのであ・・・ 宮本百合子 「「愛怨峡」における映画的表現の問題」
・・・民族性を古典の規範にしばりつけて考える誤りも明白に理解されるし、さりとて、その新しい展開が単に技法上の新展開だけで齎らされるものでないことも、痛切に考えられる。芸術の素質として民族に特有なものは、いつも具体的であって、それがさけることが出来・・・ 宮本百合子 「音楽の民族性と諷刺」
・・・しかしあるものはどんな条件で生活するどんな人でも一定の感覚と技法――アララギの枠の中での――でよめる作品であるというのも少なくないように思えました。 それから芸術的に言って、最も戒心のいるのは、アララギ流の儀礼による作歌の場合です。・・・ 宮本百合子 「歌集『仰日』の著者に」
・・・例えば作品や技法の上で新しいものを追求しようという熱心さと、その新しいものの質の探求や新しさの発生の根源を人類の生活の歴史の流れの只中から見出そうとするような思想の規模との間に、具体的な矛盾があるとも思われます。芸術至上主義ととなりあわせて・・・ 宮本百合子 「期待と切望」
出典:青空文庫