・・・の英語の抄訳本などをおぼつかない語学の力で拾い読みをしていた。高等学校へはいってから夏目漱石先生に「オピアム・イーター」「サイラス・マーナー」「オセロ」を、それもただ部分的に教わっただけである。そのころから漱石先生に俳句を作ることを教わった・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・当時まだ翻訳は無かったように思うが、自分の見たのは英訳の抄訳本でただ物語の筋だけのものであった。そうして当時の自分の英語の力では筋だけを了解するのもなかなかの骨折りであったが、そのおかげで英語が急に進歩したのも事実であった。学校で教わってい・・・ 寺田寅彦 「読書の今昔」
・・・という題で鶴見和子氏がパール・バックのこの作品の抄訳を出している。パール・バックに会って、芸術家としての彼女の真摯な態度にうたれたこの若い日本の淑女は、作品の訳者として或る意味ではふさわしい人であったろう。抄訳であることは残念だと思う。生活・・・ 宮本百合子 「『この心の誇り』」
・・・ その文章は何月何日の『プラウダ』に出たものであったのか、執筆者の署名があったのか無かったのか、完訳であるのか抄訳であるのかそれ等の点については、説明されていない。 ジイドの旅行記と『プラウダ』の批評とは、その性質上、対立的なものと・・・ 宮本百合子 「ジイドとそのソヴェト旅行記」
・・・向いの机で、邦字新聞から経済記事を他の一人が抄訳している。黒ビロードのルパシカを着たジェルテルスキーは、最も窓に近い卓子で露字新聞を読んでいた。彼は、社長の独言から、何という埃だ。利かないもんかな、などと云う言葉を理解した。小心なジェルテル・・・ 宮本百合子 「街」
出典:青空文庫