・・・いかにも気を引いて見ようとする抑揚だ。自分はむっつりして黙って歩いた。 二階の塵っぽい室へ入ると。「じゃ、一寸これに返事を書いてやって下さい」と、半紙に書いたヤスの手紙を見せた。面会させてくれと来たが、会わされないから返事だけ書・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・ 笑い声の中に立ち上って、がっちりした体にコバルト色シャツのアーシャが、抑揚は本もののプロレタリアート詩人らしい弾力で、原稿を読みあげる。「きられる鉄片の火花と音楽。さまざまな形で社会主義建設の骨格になり輪となり、起重機となり、鋲と・・・ 宮本百合子 「子供・子供・子供のモスクワ」
・・・良書は内容の徳性に加えて、子供の心理の抑揚の溌剌さが尊重されていなければならないと思う。 宮本百合子 「“子供の本”について」
・・・ 私たちは、めいめいの生活に即し、そこに動き流れる表現として造形的な美しさをも捉え創り出してゆく心の抑揚をゆたかにしたいものだと思う。ものを美しく精髄的につかうわざを会得してゆきたい。美しいものもそれが一定の関係の下では醜いものと転化し・・・ 宮本百合子 「生活のなかにある美について」
・・・そのままピアノが鳴り出せば、ほっとして発声の練習に入るのであったが、さもないときは、焦立たしさを仄めかした眉目の表情と声の抑揚とで、その生徒の名がよばれ、その髪はもうすこし何とかならないんですか、といわれるのであった。 二人の生徒のその・・・ 宮本百合子 「青春」
・・・ 細い妙に抑揚のある話しぷり。「いたいでしょう、おじいさん、どうなすったんです」「たくさん買っていらしったのね、おじいさん、五十銭?」 沢山しゃべり、おじいさんおじいさんという。がその女の声には何だか愛がとぼしくうるおいがと・・・ 宮本百合子 「一九二五年より一九二七年一月まで」
・・・二郎の人間心理の洞察はここに止るのだが、作家としての漱石の追求も、直のこの女としての機微にふれた心理の抑揚に対して、そこで終っているのは、興味深くもあり遺憾でもある。 夫のために邪になり、女が欺瞞にみちたものとなると見るならば、漱石はど・・・ 宮本百合子 「漱石の「行人」について」
人物旅人子供三人A 無邪気な晴れ晴れしい抑揚のある声の児B 実用的な平坦な動かない調子で話す児C 考え深い様な静かな声と身振りの児 場所小高い丘の上、四辺のからっと見はら・・・ 宮本百合子 「旅人(一幕)」
・・・ 微妙な線、こまやかな濃淡、魔力ある抑揚、秘めやかな諧調、そういう技巧においてもまた、私の生まれつきのうぬぼれは製作によって裏切られる。要するに私は要求と現実とを混同する夢想家に過ぎなかった。 こうして私は自分の才能に失望してかなり・・・ 和辻哲郎 「生きること作ること」
・・・青年は自分の声のききめを測量しながら、怒りの表情の抑揚のつけ方をちょっと思案してみる。――これも自然である。声、表情、そうしてある目的のために老人の人格を圧迫している青年の意志、感情、打算。我々は外形に現われたものを感覚し、知覚するとともに・・・ 和辻哲郎 「「自然」を深めよ」
出典:青空文庫