・・・ HはMにこう言われても、弓の折れの杖を引きずったまま、ただにやにや笑っていた。「Mさん、あなたも何かやるでしょう?」「僕? 僕はまあ泳ぎだけですね。」 Nさんはバットに火をつけた後、去年水泳中に虎魚に刺された東京の株屋の話・・・ 芥川竜之介 「海のほとり」
・・・ある時その燕は二人っきりでお話をしようと葦の所に行って穂の出た茎先にとまりますと、かわいそうに枯れかけていた葦はぽっきり折れて穂先が垂れてしまいました。燕はおどろいていたわりながら、「葦さん、ぼくは大変な事をしたねえ、いたいだろう」・・・ 有島武郎 「燕と王子」
・・・ その蘆の根を、折れた葉が網に組み合せた、裏づたいの畦路へ入ろうと思って、やがて踏み出す、とまたきりりりりと鳴いた。「なんだろう」 虫ではない、確かに鳥らしく聞こえるが、やっぱり下の方で、どうやら橋杭にでもいるらしかった。「・・・ 泉鏡花 「海の使者」
・・・と、お袋はそれでも娘には折れている。「あたいだッて、たましいはあらア、ね」吉弥は僕の膝に来て、その上に手枕をして、「あたいの一番好きな人」と、僕の顔を仰向けに見あげた。 僕はきまりが悪い気がしたが、お袋にうぶな奴と見抜かれるのも不本・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・「しかし、おまえは、大木になる芽ばえだとはいうものの、それまでには、おおかみに踏まれたり、きつねに踏まれたりしたときには、折れてしまおう。そうすれば、それまでのことだ。だから体を鍛えなければならない。」と、宇宙の浮浪者である風は、語って・・・ 小川未明 「明るき世界へ」
・・・ 坂を降りて北へ折れると、市場で、日覆を屋根の下にたぐり寄せた生臭い匂いのする軒先で、もう店をしもうたらしい若者が、猿股一つの裸に鈍い軒灯の光をあびながら将棋をしていましたが、浜子を見ると、どこ行きでンねンと声を掛けました。すると、浜子・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・ 断片 二 温泉は街道から幾折れかの石段で溪ぎわまで下りて行かなければならなかった。街道もそこまでは乗合自動車がやって来た。溪もそこまでは――というとすこし比較が可笑しくなるが――鮎が上って来た。そしてその乗合自動車・・・ 梶井基次郎 「温泉」
・・・大川が急に折れて城山の麓をめぐる、その崖の上を豊吉独り、おのが影を追いながら小さな藪路をのぼりて行く。 藪の小路を出ると墓地がある。古墳累々と崖の小高いところに並んで、月の光を受けて白く見える。豊吉は墓の間を縫いながら行くと、一段高いと・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・恋愛を性慾的に考えるのに何の骨が折れるか。それは誰でも、いつでもできる平凡事にすぎない。今日の文化の段階にまで達したる人間性の精神的要素と、ならびに人間性に禀具するらしい可能的神秘の側面で、われわれの恋愛の要請とは一体どんなものであるかを探・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・ 下駄屋の前を通って、四ツ角を空の方へ折れたところで、饂飩屋にいたスパイがひょっこり立って出て来た。スパイは、饂飩屋で饂飩を食って金を払わない。お湯屋の風呂に入って、風呂銭を払わない、煙草屋で、煙草を借りて、そのまゝ借りッぱなしである。・・・ 黒島伝治 「鍬と鎌の五月」
出典:青空文庫