・・・僕の体のまわりにゃ、抜け目なくあの婆が網を張っているからって。」「大きにそうだっけ。だがまさか――まさかその麦酒のコップへ、あの婆が舌を入れて、一口頂戴したって次第でもなかろう。それならかまわないから、干してしまい給え。」――こう云う具合に・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・恋を雑に、スマートに、抜け目なく、取り扱わないようにくれぐれもいましめたい。結婚後の恋愛は蜜月や、スイートホームの時期をへて、次第に、真面目な地についた人生の営みのなかにはいってゆく。こうして夫婦愛が恋愛の健全な推移としてあらわれてくる。そ・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・もともと、抜け目の無い男で、「オベリスク」の編集は世間へのお体裁、実は闇商売のお手伝いして、いつも、しこたま、もうけている。けれども、悪銭身につかぬ例えのとおり、酒はそれこそ、浴びるほど飲み、愛人を十人ちかく養っているという噂。 かれは・・・ 太宰治 「グッド・バイ」
・・・女の子って、実に抜け目が無く、自分の事ばかり考えて、ちゃっかりしているものだと思った。織女さまのおよろこびに附け込んで、自分たちの願いをきいてもらおうと計画するなど、まことに実利的で、ずるいと思った。だいいち、それでは織女星に気の毒である。・・・ 太宰治 「作家の手帖」
・・・そう呟いてから、さも抜け目のない男のようにふいと全くちがった話を持ちだすのである。彼はずっと前からこの父をきらっていた。虫が好かないのだった。幼いときから気のきかないことばかりやらかしていたからでもあった。母はだらしのないほど彼を尊敬してい・・・ 太宰治 「猿面冠者」
・・・誇張した言い方をするなら、ほとんど這うようにして栃木県の生家にたどりつき、それから三箇月間も、父母の膝下でただぼんやり癈人みたいな生活をして、そのうちに東京の、学生時代からの文学の友だちで、柳田という抜け目の無い、なかなかすばしこい人物が、・・・ 太宰治 「女類」
・・・手を抜いたごまかしの作品でも何でもよい、とにかく抜け目なくジャアナリズムというものにねばって、二十年、先輩に対して礼を尽し、おとなしくしていると、どうやらやっと、「信頼」を得るに到るようであるが、そこまでは、私にもさすがに、忍耐力の自信が無・・・ 太宰治 「如是我聞」
・・・もし講義の内容が抜け目なく系統的に正確な知識を与えさえすればいいとならば、何も器械の助けを借りるまでもなくその教師の書いた原稿のプリントなり筆記なりを生徒に与えて読ませれば済む場合もあるわけである。甲の講義を乙が述べてもそれでたくさんなわけ・・・ 寺田寅彦 「蓄音機」
・・・ 体の小柄な、黒い顔のテカテカした年より大変老けて見える父親は、素末な紺がすりに角帯をしめて、関西の小商人らしい抜け目がないながら、どっか横柄な様な態度で、主婦の事を、 お家はん、お家はん。と云って、話して居た。 此・・・ 宮本百合子 「黒馬車」
・・・金持というのが漫画にあるように袋に金を詰めて金庫に溜めて、金鎖の太いのをお腹の上にたらしているような罪のないものならば、漫画にしておけばすむのですけれども、本当の資本家というのはそれはそれは抜け目がない。私共がわずかのお金で魔法みたいにして・・・ 宮本百合子 「幸福の建設」
出典:青空文庫