・・・トロッコも三人の力では、いくら押しても動かなくなった。どうかすれば車と一しょに、押し戻されそうにもなる事がある。良平はもう好いと思ったから、年下の二人に合図をした。「さあ、乗ろう!」 彼等は一度に手をはなすと、トロッコの上へ飛び乗っ・・・ 芥川竜之介 「トロッコ」
・・・ 頸から寒くなって起きて出た。が、寝ぬくもりの冷めないうち、早く厠へと思う急心に、向う見ずに扉を押した。 押して出ると、不意に凄い音で刎返した。ドーンと扉の閉るのが、広い旅館のがらんとした大天井から地の底まで、もっての外に響いたので・・・ 泉鏡花 「鷭狩」
・・・これにしようと、いとも見苦しかりける男乗をぞあてがいける、思えらく能者筆を択ばず、どうせ落ちるのだから車の美醜などは構うものかと、あてがわれたる車を重そうに引張り出す、不平なるは力を出して上からウンと押して見るとギーと鳴る事なり、伏して惟れ・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
・・・それを空気が押して押さえてあるんだ。ところがかまいたちのまん中では、わり合空気が押さないだろう。いきなりそんな足をかまいたちのまん中に入れると、すぐ血が出るさ。」「切るのだないのか。」一郎がたずねました。「切るのじゃないさ、血が出る・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・半之助方小僧、身ぶるえしつつ、酒一斗はとても入り兼ね候と返答致し候処、山男、まずは入れなさるべく候と押して申し候。半之助も顔色青ざめ委細承知と早口に申し候。扨、小僧ますをとりて酒を入れ候に、酒は事もなく入り、遂に正味一斗と相成り候。山男大に・・・ 宮沢賢治 「紫紺染について」
・・・ここの処へただちょっとお前の前肢の爪印を、一つ押しておいて貰いたい。それだけのことだ。」 豚は眉を寄せて、つきつけられた証書を、じっとしばらく眺めていた。校長の云う通りなら、何でもないがつくづくと証書の文句を読んで見ると、まったく大へん・・・ 宮沢賢治 「フランドン農学校の豚」
・・・ きのう十国峠で採って来た秋の花をお目にかけたいけれど、せっかく花を入れてあげてそれがなくなってしまって居たりすると惜しいからおやめにいたします。押して色をうつしてあげるにはあまり鮮やかに咲いていて可哀そうなの。女郎花、撫子それから何と・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・心臓の抵抗力を弱めないよう、例えば朝体操をする時など柱でも壁でも爪先で体を突っぱってうんと押して力を出す事もよいらしゅうございます。私の心臓がひどくなったのも運動不足による衰弱です。どうかお気をつけになって下さい。それからお風呂の時桶や湯槽・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・叔父上[自注2]が、顔から脚から押して見てむくんでいないと仰云ったので、それでは本当かと、却ってびっくりしたほどです。それにしても体がしっかりしていらっしゃるのは何よりです。私とは勿論くらべものにはならないけれども、私は一月から六月中旬まで・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・その上で、自分の生きる道をそれらの広いところから眺めて、避け難い部分に向っては真に美しい人間の堅忍と勇気とを発揮して負担しながら、猶且つ押しすすめられる一歩、半歩を充実して押して生きて行く。これが人生の生理である。私たちが生きて行くためには・・・ 宮本百合子 「私たちの社会生物学」
出典:青空文庫