・・・ 賢造は念を押すように、慎太郎の方を振り返った。慎太郎はまだ制服を着たまま、博士と向い合った父の隣りに、窮屈そうな膝を重ねていた。「ええ、すぐに見えるそうです。」「じゃその方が見えてからにしましょう。――どうもはっきりしない天気・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・』と念を押すように問い返すのです。私『万事かどうかは知らないが、君の細君と楢山夫人との関係だけは聞いていた。』三浦『じゃ、僕の妻と妻の従弟との関係は?』私『それも薄々推察していた。』三浦『それじゃ僕はもう何も云う必要はない筈だ。』私『しかし・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・思い入って急所を突くつもりらしく質問をしかけている父は、しばしば背負い投げを食わされた形で、それでも念を押すように、「はあそうですか。それではこの件はこれでいいのですな」 と附け足して、あとから訂正なぞはさせないぞという気勢を示した・・・ 有島武郎 「親子」
・・・ 扉を押すと、反動でドンと閉ったあとは、もの音もしない。正面に、エレベエタアの鉄筋が……それも、いま思うと、灰色の魔の諸脚の真黒な筋のごとく、二ヶ処に洞穴をふんで、冷く、不気味に突立っていたのである。 ――まさか、そんな事はあるまい・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・ 山伏の言につれ、件の毒茸が、二の松を押す時である。 幕の裙から、ひょろりと出たものがある。切禿で、白い袖を着た、色白の、丸顔の、あれは、いくつぐらいだろう、這うのだから二つ三つと思う弱々しい女の子で、かさかさと衣ものの膝ずれがする・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・満蔵が正直あふれた無言の謝罪には、母もその上しかりようないが、なお母は政さんにもそれと響くよう満蔵に強く念を押す。「ねい満蔵、ちょっとでもそんなうわさを立てられると、おとよさんのため、また省作のため、本当に困ったことになるからね。忘れて・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・なに結構至極な所だからきめてしまってもよいと思ったけど、お前はむずかしやだからな、こうして念を押すのだ。異存はないだろう」 まだおとよは黙ってる。父もようやく娘の顔色に気づいて、むっとした調子に声を強め、「異存がなけらきめてしまうど・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・と、お姉さんは念を押すようにおっしゃいました。「僕の持っているもの、お姉さんにあげるけどなあ。」と、良ちゃんは、いいました。「ほほほほ、良ちゃんは、どんなものを持っているの?」「僕だいじにしているものがあるのだよ。」「どんな・・・ 小川未明 「小さな弟、良ちゃん」
・・・ 近所に郵便局があるので、取りに行けばよさそうなものだし、自分で行くのが面倒だったら、家政婦に行かせばよさそうなものだのに、為替に住所姓名を書いて印を押すのが面倒な上に、家政婦に郵便局へ行ってくれと頼むのが既に面倒くさいのだ。一つには、・・・ 織田作之助 「鬼」
・・・よし、このおれは……と、荷車の押す手に、思い掛けない力が籠って、父親の新助がおどろくくらいだった。 十六歳の時、丹造は広島をあとにして、立身出世の夢を宿毎に重ねて、大阪の土を踏んだ。時に明治十五年であった。 すぐに道修町の薬種問屋へ・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
出典:青空文庫