・・・ 裁判官のペップは巡査の代わりに大勢の河童を押し出した後、トックの家の戸をしめてしまいました。部屋の中はそのせいか急にひっそりなったものです。僕らはこういう静かさの中に――高山植物の花の香に交じったトックの血の匂いの中に後始末のことなど・・・ 芥川竜之介 「河童」
・・・ 赤帽の言葉を善意に解するにつけても、いやしくも中山高帽を冠って、外套も服も身に添った、洋行がえりの大学教授が、端近へ押出して、その際じたばたすべきではあるまい。 宗吉は――煙草は喫まないが――その火鉢の傍へ引籠ろうとして、靴を返し・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・ おとよは押し出したような声でようやくのこと返辞をした。十日ばかり以前から今日あることは判っているから充分の覚悟はしているものの、今さらに腹の煮え切る思いがする。「さあおとよさん、一緒にゆきましょう」 お千代は枝折戸の外まできて・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・といって、まれには船を押し出していくものもありました。 未知の世界に憧れる心は、「幸福の島」でも、また、「禍の島」でも、極度に達したときは変わりがなかったからです。とにかく、みんなは、たがいに欲深であったり、嫉妬しあったり、争い合ったり・・・ 小川未明 「明るき世界へ」
・・・ 為さんは店の真鍮火鉢を押し出して、火種を貰うと、手元へ引きつけてまず一服。中仕切の格子戸はあけたまま、さらにお光に談しかけるのであった。「お上さん、親方はどんなあんばいですね?」「どうもね、快くないんで困ってしまうわ」「あ・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・ 採鉱成績について、それが自分の成績にも関係するので、抜目のない課長は、市三が鉱車で押し出したそれで、既に、上鉱に掘りあたっていることを感づいていた。「糞ッ!」井村は思った。 課長のあとから阿見が、ペコ/\ついて来た。課長は、石・・・ 黒島伝治 「土鼠と落盤」
・・・おげんは自分で自分を制えようとしても、内部から内部からと押出して来るようなその力をどうすることも出来なかった。彼女はひどく嘆息して、そのうちに何か微吟して見ることを思いついた。ある謡曲の中の一くさりが胸に浮んで来ると、彼女は心覚えの文句を辿・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・と、私は自分ながら、あまり、筋の通ったこととも思えないような罵言をわめき散らして、あの人をむりやり、扉の外へ押し出し、ばたんと扉をしめて錠をおろした。 粗末な夕食の支度にとりかかりながら、私はしきりに味気なかった。男というものの、のほほ・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・やら二階の狂乱もしずまり、二階に電気がつき、やがて、下にも電気がつきまして、店の戸が内からあいて、寝巻姿の婆と女房は、きょときょと顔を出し、おまわりは苦笑しながら、どろぼうではない、と言って私を前面に押し出しましたら、婆はけげんな顔をして、・・・ 太宰治 「男女同権」
・・・ そうしてあの人を待合室から押し出して、私は、少し落ちつき、またベンチに腰をおろし酸っぱいように眼をつぶりました。はたから見ると、私は、きっとキザに気取って、おろかしい瞑想にふけっているばあちゃん女史に見えるでしょうが、でも、私、こうし・・・ 太宰治 「皮膚と心」
出典:青空文庫