・・・なんのためだか知らないが僕はあっちこちを見廻してから、誰も見ていないなと思うと、手早くその箱の蓋を開けて藍と洋紅との二色を取上げるが早いかポッケットの中に押込みました。そして急いでいつも整列して先生を待っている所に走って行きました。 僕・・・ 有島武郎 「一房の葡萄」
・・・此奴ら、大地震の時は弱ったぞ――啄んで、嘴で、仔の口へ、押込み揉込むようにするのが、凡そ堪らないと言った形で、頬摺りをするように見える。 怪しからず、親に苦労を掛ける。……そのくせ、他愛のないもので、陽気がよくて、お腹がくちいと、うとう・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・自分の風呂敷を、ふところ深く押し込みすぎて、それを忘れてしまって、落したものとばかり思い、きょろきょろ捜していたら、よそのおばさんが親切に、教えてくれて、私は、感謝してその風呂敷を拾い、家へ帰って調べてみたら、ちがっていた。それだけの話なの・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・同時にいたずら好きの天分をも発揮して、ガス管内に空気を押し込み、先生の祈祷が始まると燈火が自然に消えるという趣向を案出し実行した。その頃彼の父は彼に農業の趣味を養うために郷里で豚を飼わせ、その収入を彼の小使銭に充てた。この銭は多くは化学材料・・・ 寺田寅彦 「レーリー卿(Lord Rayleigh)」
・・・とうとう願書をふところへ押し込みまして、引き立てて帰しました。妹娘はしくしく泣きましたが、いちは泣かずに帰りました。」「よほど情のこわい娘と見えますな」と、太田が佐佐を顧みて言った。 ――――――――――――――――・・・ 森鴎外 「最後の一句」
出典:青空文庫