・・・鏡を出してこの招牌と較べてみい。間抜けめ」 こういったようなことから、後で女房が亭主に話すと、亭主はこの辺では珍らしい捌けた男なんだそうで、それは今ごろ始った話じゃないんだ。己の家の饅頭がなぜこんなに名高いのだと思う、などとちゃらかすの・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・路側のさまざまの商店やら招牌やらが走馬燈のように眼の前を通るが、それがさまざまの美しい記憶を思い起こさせるので好い心地がするのであった。 お茶の水から甲武線に乗り換えると、おりからの博覧会で電車はほとんど満員、それを無理に車掌のいる所に・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・ そもそも僕が始て都下にカッフェーというもののある事を知ったのは、明治四十三年の暮春洋画家の松山さんが銀座の裏通なる日吉町にカッフェーを創設し、パレット形の招牌を掲げてプランタンという屋号をつけた際であった。僕は開店と言わずして特に創設・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・姉もまけずに「前使った学校の招牌も売りました。十円に買って行きました」と云った。 運命の車は容赦なく廻転しつつある。我輩の前および彼ら二人の前にはいかなる出来事が横わりつつあるか。我らは三人ながら愚な事をしているかも知れぬ。愚かも知れぬ・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・ 溢れるような日光が硝子や招牌、旗などの上に漲っているのを一方に眺めながら、身は薄らつめたい、堅い、日かげの鋪道を歩いて行く心持よさは、何に例えよう。 私は、心持がすがすがしければすがすがしい程、先をせかなかった。 ずらりと並ん・・・ 宮本百合子 「小景」
・・・支那両替屋の招牌が幌を掠めた。首をこごめて往来をのぞくと、右手に畳を縫って居る職人、向側の塵埃っぽい大硝子窓の奥で針を働して居る洋服工、つい俥の下で逃げ出す鶏を見乍ら丸髷に結った女と喋って居る若者迄悉く支那人だ。道のつき当りから山手にかかっ・・・ 宮本百合子 「長崎の一瞥」
・・・香港、上海航路廻漕業の招牌が見える。橋を渡る。その間に、電車が一台すれ違って通った。人通りの稀な街路の、右手は波止場の海水がたぷたぷよせている低い石垣、左側には、鉄柵と植込み越しに永年風雨に曝された洋館の閉された窓々が、まばらに光る雨脚の間・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
出典:青空文庫