・・・のみならず家附の細君は去年の夏とかに男を拵えて家出したことも耳にしていた。「魚のこともHさんはわたしよりはずっと詳しいんです。」「へええ、Hはそんなに学者かね。僕はまた知っているのは剣術ばかりかと思っていた。」 HはMにこう言わ・・・ 芥川竜之介 「海のほとり」
・・・するとそれを見た姉のお絹が、来月は長唄のお浚いがあるから、今度は自分にも着物を一つ、拵えてくれろと云い出した。父はにやにや笑ったぎり、全然その言葉に取り合わなかった。姉はすぐに怒り出した。そうして父に背を向けたまま、口惜しそうに毒口を利いた・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・もしこの椅子のようなものの四方に、肘を懸ける所にも、背中で倚り掛かる所にも、脚の所にも白い革紐が垂れていなくって、金属で拵えた首を持たせる物がなくって、乳色の下鋪の上に固定してある硝子製の脚の尖がなかったなら、これも常の椅子のように見えて、・・・ 著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外 「罪人」
・・・もっと卒直にいえば、諸君は諸君の詩に関する知識の日に日に進むとともに、その知識の上にある偶像を拵え上げて、現在の日本を了解することを閑却しつつあるようなことはないか。両足を地面に着けることを忘れてはいないか。 また諸君は、詩を詩として新・・・ 石川啄木 「弓町より」
・・・ 後で拵え言、と分かったが、何故か、ありそうにも思われる。 それが鳴く……と独りで可笑しい。 もう、一度、今度は両手に両側の蘆を取って、ぶら下るようにして、橋の片端を拍子に掛けて、トンと遣る、キイと鳴る、トントン、きりりと鳴く。・・・ 泉鏡花 「海の使者」
・・・「だって、だって、貴下がその年、その思いをしているのに、私はあの児を拵えました。そんな、そんな児を構うものか。」 とすねたように鋭くいったが、露を湛えた花片を、湯気やなぶると、笑を湛え、「ようござんすよ。私はお濠を楽みにしますか・・・ 泉鏡花 「女客」
・・・お増は二人の弁当を拵えてやってくれ。お菜はこれこれの物で……」 まことに親のこころだ。民子に弁当を拵えさせては、自分のであるから、お菜などはロクな物を持って行かないと気がついて、ちゃんとお増に命じて拵えさせたのである。僕はズボン下に足袋・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・おッ母さんがやって来るのも、その相談だから、そのつもりで、吉弥に対する一切の勘定書きを拵えてもらいましょう」 こう言って、青木が僕の方を見た時には、僕の目に一種の勝利、征服、意趣返し、または誇りとも言うべき様子が映ったので、ひょッとする・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・マの古物を横浜に持って来たのを椿岳は早速買込んで、唯我教信と相談して伝法院の庭続きの茶畑を拓き、西洋型の船に擬えた大きな小屋を建て、舷側の明り窓から西洋の景色や戦争の油画を覗かせるという趣向の見世物を拵え、那破烈翁や羅馬法王の油画肖像を看板・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・に、村の人の遊ぶとき、ことにお祭り日などには、近所の畑のなかに洪水で沼になったところがあった、その沼地を伯父さんの時間でない、自分の時間に、その沼地よりことごとく水を引いてそこでもって小さい鍬で田地を拵えて、そこへ持っていって稲を植えた。こ・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
出典:青空文庫