・・・印刷所では、鷹のような眼をした熟練工が、なんの表情も無く、さっさと拙稿の活字を拾う。あの眼が、こわい。なんて下手くそな文章だ。嘘字だらけじゃないか、と思っているに違いない。ああ、印刷所では、私の無智の作品は、使い走りの小僧にまで、せせら笑わ・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・ やめろ! 拾うのは、やめてくれ。それは皆、捨てちまえ! 拾い集めてもらって、また食べるなんて、あまり惨めだ。惨めすぎる。少しは、こっちの気持も察してくれよ。まだ、七、八百円は残っている筈だ。新円だぞ。それで肴を買って来い。たったいま買って・・・ 太宰治 「春の枯葉」
・・・遠くもない墓のしきいに流木を拾うているこのあわれな姿はひしと心に刻まれた。 壮大なこの場の自然の光景を背景に、この無心の熊さんを置いて見た刹那に自分の心に湧いた感じは筆にもかけず詞にも表わされぬ。 宿へ帰ったら女中の八重が室の掃除・・・ 寺田寅彦 「嵐」
・・・それで、なるべく拾うべき長所の拾い落しのないためにはなるべく多数の審査員を選び、そうしてそれらの人達の合議によって及落を決したらよさそうに思われるが、そうなるとまた実行上かなり困難なことが起って来るのである。何故かというと、学者に限らず人間・・・ 寺田寅彦 「学位について」
・・・そして単に野生の木の実を拾うような「観測」の縄張りを破って、「実験」の広い田野をそういう道具で耕し始めてからの事である。ただの「人間の言語」だけであった昔の自然哲学は、これらの道具の掘り出した「自然自身の言語」によって内容の普遍性を増して行・・・ 寺田寅彦 「言語と道具」
・・・ 王子ははんけちを出してひろげましたが、あまりいちめんきらきらしているので、もうなんだか拾うのがばかげているような気がしました。 その時、風が来て、りんどうの花はツァリンとからだを曲げて、その天河石の花の盃を下の方に向けましたので、・・・ 宮沢賢治 「虹の絵具皿」
・・・を読んだすべてのひとは、患者が床の上におとした物を自分で拾うことを禁じている。そのように十分の看護婦が配置されているサナトリアムの設備におどろくのです。 看護婦というと、日本のこれまでの感情では何となしあらゆる困難に対して献身的で犠牲の・・・ 宮本百合子 「生きるための協力者」
・・・「世の中は、うまく出けたもんで捨る神あれば又拾う神ありや。鬼ばかりは居らへん。「有難いもんですねえ。 お金は十円札に厭味な流し眼をくれて口の先で笑った。「けど何なんでしょう、 それだけで一年分をすませるつもりなん・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・ チョンと跳び、ついと一粒の粟を拾う間に、彼は非常なすばしこさで、ちらりと左右に眼を配る。右を見、左を見、体はひきそばめて、咄嗟に翔び立つ心構えを怠らない。可愛く、子供らしく、浮立って首を動かすのではない。何か痛ましい、東洋の不純な都会・・・ 宮本百合子 「餌」
・・・印度の港で魚のように波の底に潜って、銀銭を拾う黒ん坊の子供の事や、ポルトセエドで上陸して見たと云う、ステレオチイプな笑顔の女芸人が種々の楽器を奏する国際的団体の事や、マルセイユで始て西洋の町を散歩して、嘘と云うものを衝かぬ店で、掛値と云うも・・・ 森鴎外 「かのように」
出典:青空文庫