・・・しかし文芸はその約束として個々の体験と事象との具象的描写を事とせねばならぬ故、人生全体としての指導原理の探究を目ざすことはできぬ。それ故一定の目的をもって文芸に向かうものにとっては、それは活きてはいるが低徊的である。それは行為の法則を与えよ・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・私はこの書を反復熟読し、それを指導原理として私の実践生活を規範しようとさえもしたが、しかし結局はそれも破綻して、私は倫理学以上の、「善悪を横に截る道」を求めて、宗教的方法の探求へと向かったものであった。 がここでいいたいのは、かような指・・・ 倉田百三 「学生と読書」
・・・そうだとすれば、それはまた必ずしも映画以来はじめて発明されたものではなくして、少なくも原理としてはすでにあらゆる他の芸術に存在していると同じような指導原理に支配されるものであろうという事は想像してもさしつかえがないであろう。実際プドーフキン・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・正常の教程課目として教わったことで後年直接そのままに役に立ったことは比較的わずかで教程以外に直接先生方から受けた実例教育の外には自分の勝手で自修したことだけが骨身に沁みて生涯の指導原理になっているような気がする。しかし、これは思い違いである・・・ 寺田寅彦 「科学に志す人へ」
・・・に対する対策の一般的指導原理を暗示するようにも思われるのである。 寺田寅彦 「家庭の人へ」
・・・ということがいろいろな芸術の指導原理か骨髄かあるいは少なくも薬味ないしビタミンのごときものであると考えられていた。西洋でもラスキンなどは「一抹の悲哀を含まないものに真の美はあり得ない」と言ったそうである。これから考えても悲哀ということ自身は・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・ 不易流行や虚実の弁については古往今来諸家によって説き尽くされたことであって、今ここに敷衍すべき余地もないのであるが、要するにこれは俳諧には限らずあらゆるわが国の表現芸術に共通な指導原理であって、芸と学との間に分水嶺を画するものである。・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
出典:青空文庫