・・・黒き馬の鼻面が下に見ゆるとき、身を半ば投げだして、行く人のために白き絹の尺ばかりなるを振る。頭に戴ける金冠の、美しき髪を滑りてか、からりと馬の鼻を掠めて砕くるばかりに石の上に落つる。 槍の穂先に冠をかけて、窓近く差し出したる時、ランスロ・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・文鳥は身を逆さまにしないばかりに尖った嘴を黄色い粒の中に刺し込んでは、膨くらんだ首を惜気もなく右左へ振る。籠の底に飛び散る粟の数は幾粒だか分らない。それでも餌壺だけは寂然として静かである。重いものである。餌壺の直径は一寸五分ほどだと思う。・・・ 夏目漱石 「文鳥」
・・・その人は、社会的に尊敬され、家庭的に幸福でありながら、他の人の一生を棒に振ることも出来た。彼には三百六十五日の生活がある! 彼には、三百六十五日の死がある。―― 今度は、三ヵ月は娑婆で暮したいな、と思うと、凡そ百日間は、彼には娑婆の風が・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・ひた土に筵しきて、つねに机すゑおくちひさき伏屋のうちに、竹生いでて長うのびたりけるをそのままにしおきて壁くぐる竹に肩する窓のうちみじろくたびにかれもえだ振る膝いるるばかりもあらぬ草屋を竹にとられて身をすぼめをり・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・だんだん上にのぼって行って、とうとうそのすりばちのふちまで行った時、片手でハンドルを持ってハンケチなどを振るんだ。なかなかあれでひどいんだろう。ところが僕等がやるサイクルホールは、あんな小さなもんじゃない。尤も小さい時もあるにはあるよ。お前・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・長い頸を天に延ばすやつ頸をゆっくり上下に振るやつ急いで水にかけ込むやつ実にまるでうじゃうじゃだった。「もういけない。すっかりうまくやられちゃった。いよいよおれも食われるだけだ。大学士の号も一所になくなる。雷竜はあんまりひ・・・ 宮沢賢治 「楢ノ木大学士の野宿」
・・・けれども、笑うだけ笑って仕舞うと、彼女は、足をぶらぶら振るのもやめ困った顔で沈んで仕舞った。「もうじき大晦日だのにね。――どうするおつもり?」 彼女は、歎息まじりに訴えた。「今其那に女中なんかないのよ。貴方男だから好きになすった・・・ 宮本百合子 「或る日」
・・・と手を出すと、黒いぬれた鼻をこすりつけて、一層盛に尾を振る。「野良犬ではないらしいわね。どうなすったの?」「つい其処に居たんだ。通る人だれの足許にでもついてゆきそうにして居た。ね、パプシー」「いきなりつれていらしった・・・ 宮本百合子 「犬のはじまり」
・・・ 七つの喉から銀の鈴を振るような笑声が出た。 第八の娘は両臂を自然の重みで垂れて、サントオレアの花のような目は只じいっと空を見ている。 一人の娘が又こう云った。「馬鹿に小さいのね」 今一人が云った。「そうね。こんな物・・・ 森鴎外 「杯」
・・・ 号砲に続いて、がらんがらんと銅の鐸を振るを合図に、役人が待ち兼ねた様に、一度に出て来て並ぶ。中にはまかないの飯を食うのもあるが、半数以上は内から弁当を持って来る。洋服の人も、袴を穿いた人も、片手に弁当箱を提げて出て来る。あらゆる大さ、・・・ 森鴎外 「食堂」
出典:青空文庫