・・・今日不忍池の周囲は肩摩轂撃の地となったので、散歩の書生が薄暮池に睡る水禽を盗み捕えることなどは殆ど事実でないような思いがする。然し当時に在っては、不忍池の根津から本郷に面するあたりは殊にさびしく、通行の人も途絶えがちであった。ここに雁の叙景・・・ 永井荷風 「上野」
・・・だから停留法がうまく行くと、すなわち意識が停留したいところを見計って、その刹那を捕えると、観者をして還元的感化をうけやすくします。これを静の還元的感化と云います。しかしながらこれは重なる傾向から文学と絵画を分ったまでで、その実は截然とこう云・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・ こいつは全で空気と同じく、あらゆる地面を蔽ってはいたが、捕えるのに往生した。 下の関行きの、二三等直通列車が走った。 彼は、長い時間を食堂車でつぶして、ビールの汗で体中を飴湯でも打っかけられたように、ネチャつかせながら、彼の座・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・ 読者大衆を捕えるだけ強い魅力をもったプロレタリア作品の新しいものが出ないことは、ソヴェトの民衆の旺盛な読書慾の上に、一時的にではあったが別なバチルスをはびこらせる結果になった。例えば、若いコムソモールの全生活が、すぐれたプロレタリア作・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」
・・・大衆の人間的苦悩、時代の重しを感じ、それらの重みを欲していない心持の身じろぎを捕える芸術の社会性、そのような今日の顕著な人間性のリアリティーをもち得なくなったことから、従来の一部の作家が文学の大衆化を叫び出し、しかも大衆というものの誤った理・・・ 宮本百合子 「今日の文学に求められているヒューマニズム」
・・・で一寸したヒステリーに関する科学的トリックを利用しつつ、ウィーンにおける親日支那青年李金成暗殺の物語を語るなかで、「支那人を捕える方法を知っていますか。それは在住支那人の数名のものを買収なさい。日本人を捕える時には、それは不可能ですが、支那・・・ 宮本百合子 「作家のみた科学者の文学的活動」
・・・「そうすると文学の本に発売禁止を食わせるのは影を捉えるようなもので、駄目なのだろうかね。」 木村が犬塚の顔を見る目はちょいと光った。木村は今云ったような犬塚の詞を聞く度に、鳥さしがそっと覗い寄って、黐竿の尖をつと差し附けるような心持・・・ 森鴎外 「食堂」
・・・ 実際私たちのような仕事を選んだ者は、ある一つの輝いた瞬間を捕えるために、果実のないむだな永い時間を費やすことがあります。そういう時に人が、そんなにノラクラしているくらいなら、と思うのも無理はないと思います。自分でさえそう感じる事が時に・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
・・・すなわち情緒表現の道と並行して、純粋に写実に努力し、これまで閑却していたさまざまの自然の美を捕えるのである。宋画のある者に見られるような根強い写実は、決して情趣表現の動機から出たものではない。氏を浪漫的な弱さから連れ出すものは、おそらくこれ・・・ 和辻哲郎 「院展日本画所感」
・・・一、二の特徴を捕えることは出来るが、微妙な線や表情になると到底詳しく説明することは出来ない。しかも詳しく見れば見るほど他とは異なっている。最も特徴のない平凡な顔でも決して他と同一ではない。われわれは知力の傾向に従って、特異な点を常に看過しよ・・・ 和辻哲郎 「自己の肯定と否定と」
出典:青空文庫