・・・いきなり切符を車掌へ渡すと、仕事を仕損じた掏摸より早く、電車を飛び降りてしまいました。が、何しろ凄まじい速力で、進行していた電車ですから、足が地についたと思うと、麦藁帽子が飛ぶ。下駄の鼻緒が切れる。その上俯向きに前へ倒れて、膝頭を摺剥くと云・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
彼は小説家だった。下手な小説家だった。その証拠に実感を尊重しすぎた。 彼は掏摸の小説を構想した。が、どうも不安なので、掏摸の顔を見たさに、町へ出た。 ところが、一人も掏摸らしい男に出会わなかった。すごすご帰りの電車・・・ 織田作之助 「経験派」
・・・ しかし、ヒンブルの加代は掏摸はやらない。不器用で掏摸には向かないのだ。 彼女の専門は、映画館やレヴュー小屋へ出入するおとなしそうな女学生や中学生をつかまえて、ゆする一手だ。 虫も殺さぬ顔をしているが、二の腕に刺青があり、それを・・・ 織田作之助 「夜光虫」
・・・ 自分が百円持って銀行に預けに行く途中で、掏児に取られた体にして届け出よう、そう為ようと考がえた、すると嫌疑が自分にかかり、自分は拘引される、お政と助は拘引中に病死するなど又々浅ましい方に空想が移つる。 校舎落成のこと、その落成式の・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・呉は、そのしてはならぬことを、かげにかくれて反対にやってみせる、それに快よさを覚えるようなたちの男だ。掏摸が一度、豪勢な身なりをしている男の懐中物をくすねて鼻をあかしてやると、その快味が忘れられず、何回もそれを繰りかえし、かっぱらう。そして・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・こんなのが大きくなって、掏摸の名人なんかになるものだ。けれども、案外にも、どこか一つ大きく抜けているところがあると見えて、掏摸の親方になれなかったばかりか、いやもう、みっともない失敗の連続で、以後十数年間、泣いたりわめいたり、きざに唸るやら・・・ 太宰治 「小さいアルバム」
・・・に現われる群集の一人一人の素性について何も知らなかったのであるが、この二度目の同じ場面では一人一人の来歴、またその一人一人がアルベールならびに連れ立った可憐のポーラに対する交渉がちゃんとわかっている。掏摸に金をすられた肥った年増の顔、その密・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・盛り場である人がなんの気なしにとった写真に掏摸が椋鳥のふところへ手を入れたのがちゃんと写っていたという話を聞いたこともある。 記憶のいい写真の目にもしくじりはある。 飛行船が北氷洋上で氷原をとった写真を現像したら思いもかけぬ飛行機の・・・ 寺田寅彦 「カメラをさげて」
・・・それから二三日たってから、宅の他の子供がデパートでハンドバッグを掏摸にすられた。そうして電車停留場の安全地帯に立っていたら、通りかかったトラックの荷物を引っ掛けられて上着にかぎ裂きをこしらえた。その同じ日に宅の女中が電車の中へだいじの包みを・・・ 寺田寅彦 「藤の実」
出典:青空文庫