・・・とはどんな事か知りたいというばか者があってわざわざ化け物屋敷へ探険に出かける話があるが、あの話を聞いてあの豪傑をうらやましいと感ずべきか、あるいはかわいそうと感ずべきか、これも疑問である。ともかくも「ゾッとする事」を知らないような豪傑が・・・ 寺田寅彦 「化け物の進化」
・・・ 探険家シャックルトンがベルリンへ来たときペンクの私邸に招かれ、その時自分も御相伴に呼ばれて行った。見知らぬ令夫人を卓に導く役を云い付かって当惑した。その席でペンクは、本日某無名氏よりシャックルトン氏の探険費として何万マルクとかの寄附が・・・ 寺田寅彦 「ベルリン大学(1909-1910)」
一九三二年の夏の間に、シベリアの北の氷海を一艘のあまり大きくない汽船が一隊の科学者の探険隊を載せて、時々行く手をふさぐ氷盤を押し割りながら東へ東へと航海していた。しかしその氷の割れる音は科学を尊重するはずの日本へ少しも聞こ・・・ 寺田寅彦 「北氷洋の氷の割れる音」
・・・一八七六―七七年プルジェワルスキーが探険した時にはこの湖水と思われるものが見つかったが、しかしそれはシナの古図の示すよりはるかに、すなわち約一度ぐらい、南にあった。それで古図がひどく間違っていたか、それともプルジェワルスキーの見たのは別物で・・・ 寺田寅彦 「ロプ・ノールその他」
・・・ 探険の興は勃然として湧起ってきたが、工場地の常として暗夜に起る不慮の禍を思い、わたくしは他日を期して、その夜は空しく帰路を求めて、城東電車の境川停留場に辿りついた。 葛西橋の欄干には昭和三年一月竣工としてある。もしこれより以前に橋・・・ 永井荷風 「放水路」
・・・ その人はあわてたのをごまかすように、わざとゆっくり川をわたって、それからアルプスの探検みたいな姿勢をとりながら、青い粘土と赤砂利の崖をななめにのぼって、崖の上のたばこ畑へはいってしまいました。 すると三郎は、「なんだい、ぼくを・・・ 宮沢賢治 「風の又三郎」
・・・それは大へん小さくて、地理学者や探険家ならばちょっと標本に持って行けそうなものではありましたがまだ全くあたらしく黄いろと赤のペンキさえ塗られていかにも異様に思われ、その前には、粗末ながら一本の幡も立っていました。 私は老人が、もう食事も・・・ 宮沢賢治 「雁の童子」
・・・その人は、あわてたのをごまかすように、わざとゆっくり、川をわたって、それから、アルプスの探険みたいな姿勢をとりながら、青い粘土と赤砂利の崖をななめにのぼって、せなかにしょった長いものをぴかぴかさせながら、上の豆畠へはいってしまった。ぼくらも・・・ 宮沢賢治 「さいかち淵」
・・・崖にはゆうべの洞もあるそこまで行けばもう大丈夫こんなあぶない探険などは今度かぎりでやめてしまい博物館へも断わらせて東京のまちのまん中で赤い鼻の連中などを相手に法螺を吹いてればいい。大体こんな計算だった。・・・ 宮沢賢治 「楢ノ木大学士の野宿」
・・・大祭に参加後、すぐ六人ともカナダの北境を探険するという話でした。私たちは、船を下りると、すぐ旅装を調えて、ヒルテイの村に出発したのであります。実は私は日本から出ました際には、ニュウファウンドランドへさえ着いたら、誰の眼もみなそのヒルテイとい・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
出典:青空文庫