・・・真向うに、矗立した壁面と、相接するその階段へ、上から、黒く落ちて、鳥影のように映った。が、羽音はしないで、すぐその影に薄りと色が染まって、婦の裾になり、白い蝙蝠ほどの足袋が出て、踏んだ草履の緒が青い。 翼に藍鼠の縞がある。大柄なこの怪し・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・僕は、周囲の平凡な真ん中で、戦争当時の狂熱に接する様な気がした。「大石軍曹は」と、友人はまた元の寂しい平凡に帰って、「その行くえが他の死者と同じ様に六カ月間分らなんだ、独立家屋のさきで倒れとったんを見た云うもんもあったそうやし、もッとさ・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・故に、文章を読むことは、即ち、その人間に接することです。文品の高い、低いは、即ち、人品の高い、低いに他ありません。 作為なく、詐りなくして、表現されたものが、即ちその人の真の文章であります。しかしながら、たとえ作為を用いても、また、詐ろ・・・ 小川未明 「読むうちに思ったこと」
・・・ 私は、さま/″\の忘れられた懐しい夢を、もう一度見せてくれる、また心を、不可思議な、奥深い怪奇な、感情の洞穴に魅しくれる、此種の芸術に接するたびに、之を愛慕し、之を尊重視するの念を禁じ得ない。・・・ 小川未明 「忘れられたる感情」
・・・緑草直ちに門戸に接するを見、樹林の間よりは青煙閑かに巻きて空にのぼるを見る、樵夫の住む所、はた隠者の独座して炉に対するところか。 これらの美なる風光はわれにとりて、過去五年の間、かの盲者における景色のごときものにてはあらざりき。一室に孤・・・ 国木田独歩 「小春」
・・・ 空は蒸暑い雲が湧きいでて、雲の奥に雲が隠れ、雲と雲との間の底に蒼空が現われ、雲の蒼空に接する処は白銀の色とも雪の色とも譬えがたき純白な透明な、それで何となく穏やかな淡々しい色を帯びている、そこで蒼空が一段と奥深く青々と見える。ただこれ・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・ 建治二年三月旧師道善房の訃音に接するや、日蓮は悲嘆やる方なく、報恩鈔二巻をつくって、弟子日向に持たせて房州につかわし、墓前に読ましめ「花は根にかえる。真味は土にとどまる。此の功徳は故道善房の御身にあつまるべし」と師の恩を感謝した。・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
兄妹、五人あって、みんなロマンスが好きだった。長男は二十九歳。法学士である。ひとに接するとき、少し尊大ぶる悪癖があるけれども、これは彼自身の弱さを庇う鬼の面であって、まことは弱く、とても優しい。弟妹たちと映画を見にいって、これは駄作だ・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・いや、家庭に在る時ばかりでなく、私は人に接する時でも、心がどんなにつらくても、からだがどんなに苦しくても、ほとんど必死で、楽しい雰囲気を創る事に努力する。そうして、客とわかれた後、私は疲労によろめき、お金の事、道徳の事、自殺の事を考える。い・・・ 太宰治 「桜桃」
・・・都北京は、まさしく彼の性格にぴったり合った様子で、すぐさま北京の或る大会社に勤め、彼の全能力をあますところなく発揮して東亜永遠の平和確立のため活躍しているという事で、私は彼のそのような誇らしげの音信に接する度毎に、いよいよ彼に対する尊敬の念・・・ 太宰治 「佳日」
出典:青空文庫