発端 肥後の細川家の家中に、田岡甚太夫と云う侍がいた。これは以前日向の伊藤家の浪人であったが、当時細川家の番頭に陞っていた内藤三左衛門の推薦で、新知百五十石に召し出されたのであった。 ところが寛文七年の・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・文部大臣が三君の中先ず第一に坪内君を擢んで報ゆるに博士の学位を以てしたのは推薦者たる大学もまた坪内君の功労を認めざるを得なかったのであろう。下らぬ比較をするようだが、この三君を維新の三傑に比べたなら高田君は大久保甲東で、天野君は木戸である。・・・ 内田魯庵 「明治の文学の開拓者」
・・・もっとも、私は六年前処女作が文芸推薦となった時、「この小説は端の歩を突いたようなものである」という感想を書いたが、しかし、その時私の突いた端の歩は、手のない時に突く端の歩に過ぎず、日本の伝統的小説の権威を前にして、私は施すべき手がなかったの・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・という小説を、文芸推薦の選衡委員会で極力推薦してくれたことは、速記に明らかである。当時東京朝日新聞でも「唯一の大正生れの作家が現れた」という風に私のことを書いてくれた。「夫婦善哉」を小山書店から出さないかというような手紙もくれた。思えば、私・・・ 織田作之助 「武田麟太郎追悼」
・・・が室生氏の推薦で芥川賞候補にあげられ、四作目の「放浪」は永井龍男氏の世話で「文学界」にのり、五作目の「夫婦善哉」が文芸推薦になった。 こんなことなれば、もっと早く小説を書いて置けばよかったと、現金に考えた。八年も劇を勉強して純粋戯曲論な・・・ 織田作之助 「わが文学修業」
・・・ 中学を出ると、再び殆んど無断で、高商へ学校からの推薦で入学してしまった。おしかは愚痴をこぼしたが、親の云いつけに従わぬからと云って、息子を放って置く訳にも行かなかった。他にかけかえのない息子である。何れ老後の厄介を見て貰わねばならない・・・ 黒島伝治 「老夫婦」
・・・ある新聞社が、ミス・日本を募っていたとき、あのときには、よほど自己推薦しようかと、三夜身悶えした。大声あげて、わめき散らしたかった。けれども、三夜の身悶えの果、自分の身長が足りないことに気がつき、断念した。兄妹のうちで、ひとり目立って小さか・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・これは、池袋の大姉さんの御推薦でした。もうひとりのお方は、父の会社に勤めて居られる、三十歳ちかくの技師でした。五年も前の事ですから、記憶もはっきり致しませんが、なんでも、大きい家の総領で、人物も、しっかりしているとやら聞きました。父のお気に・・・ 太宰治 「きりぎりす」
・・・元老、鶴屋北水の推薦と、三木朝太郎の奔走のおかげで、さちよは、いきなり大役をふられた。すなわち、三人姉妹の長女、オリガである。いいかい、オリガは、センチメントおさえて、おさえて、おさえ切れなくなる迄おさえて、幕切れで、どっとせきあげる、それ・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・ある新聞社が、ミス・日本を募っていた時、あの時には、よほど自己推薦しようかと、三夜身悶えした。大声あげて、わめき散らしたかった。けれども、三夜の身悶えの果、自分の身長が足りない事に気がつき、断念した。兄妹のうちで、ひとり目立って小さかった。・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
出典:青空文庫