・・・寧ろ一人の無辜を殺すも陸軍の醜辱を掩蔽するに如かずと。而してエミール・ゾーラは蹶然として起てり。彼が火の如き花の如き大文字は、淋漓たる熱血を仏国四千万の驀頭に注ぎ来れる也。 当時若しゾーラをして黙して己ましめんか、彼れ仏国の軍人は遂に一・・・ 幸徳秋水 「ドレフュー大疑獄とエミール・ゾーラ」
・・・それだけならば、まだしもであるが、困ったことには、各自が専門とする部門が斯学全体の中の一小部分であることをいつか忘れてしまって、自分の立場から見ただけのパースペクティヴによって、自分の専門が学全体を掩蔽するその見掛け上の主観的視像を客観的実・・・ 寺田寅彦 「学位について」
・・・しかし同じ顔を見た時の印象が、見なかった時の印象を掩蔽してそう思わせるのかもしれない。 品川から上野行は嘘のように空いていた。向い側に小間物を行商するらしい中年女が乗って、大きな荷物にもたれて断えず居眠りをしていた。浴衣の膝頭に指頭大の・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ 制服というものはある意味では人間の個性を掩蔽するものである。少し離れて見れば一隊の兵士は同じ鋳型でこしらえた鉛の兵隊のように見える。しかし食堂女給のような場合にもまた逆に服装が同一であるために個人の個性がかえって最も顕著に示揚されるよ・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・また四月英国の閉塞隊がベルギー海岸のドイツ潜水艇の根拠地を襲撃した場合にも、味方の行動を掩蔽するために煤煙の障屏を使用しようとしたのが肝心の時に風が変って非常の違算を来たしたという事である。これらの場合に充分な気象観測の材料が備わっていて優・・・ 寺田寅彦 「戦争と気象学」
・・・ 日本人の先祖がどこに生まれどこから渡って来たかは別問題として、有史以来二千有余年この土地に土着してしまった日本人がたとえいかなる遺伝的記憶をもっているとしても、その上層を大部分掩蔽するだけの経験の収穫をこの日本の環境から受け取り、それ・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・芸術のほうで考えてみてもなおさらのこと一時は新しいものが古いものを掩蔽するように見えても、その影からまたいちばん古いものが復活してくる。古くからあったという事実の裏には時の試練に堪えて長く存続すべき理由条件が具備しているという実証が印銘され・・・ 寺田寅彦 「俳句の型式とその進化」
出典:青空文庫