・・・…… この土地の新聞一種、買っては読めない境遇だったし、新聞社の掲示板の前へ立つにも、土地は狭い、人目に立つ、死出三途ともいう処を、一所にさまよった身体だけに、自分から気が怯けて、避けるように、避けるように、世間のうわさに遠ざかったから・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・ある日の朝K市の中学校の掲示場の前におおぜいの生徒が集まって掲示板に現われた意外な告知を読んで若い小さな好奇心を動揺させていた。今度文学士何某という人が蓄音機を携えて来県し、きょう午後講堂でその実験と説明をするから生徒一同集合せよというので・・・ 寺田寅彦 「蓄音機」
・・・という駅があったようだと子供達と話していたら、国府津駅の掲示板を見ていた子供の一人からそれは「鴨の宮」だという正誤を申込まれた。その子供の話によると、「ワシントン」という靴屋を間違えて「ナポレオン」と云った友達がいるそうである。しかし雀と鴨・・・ 寺田寅彦 「箱根熱海バス紀行」
・・・ 夜は忽ち暗黒の中に眺望を遮るのみか、橋際に立てた掲示板の文字さえ顔を近づけねば読まれぬほどにしていた。掲示は通行の妨害になるから橋の上で釣をすることを禁ずるというのである。しかしわたくしは橋の欄干に身を倚せ、見えぬながらも水の流れを見・・・ 永井荷風 「放水路」
・・・ 往来に面した掲示板に今日は成人教育プログラムともう一つの紙が貼られている。伯爵某々が下賜された土地小住宅とともに十五年年賦で分譲する。希望者は事務所へ照会せよ。 ホワイト・チャペル通の交叉点を過ると、街の相貌がだんだん違って来・・・ 宮本百合子 「ロンドン一九二九年」
出典:青空文庫