・・・半之丞はこの金を握るが早いか、腕時計を買ったり、背広を拵えたり、「青ペン」のお松と「お」の字町へ行ったり、たちまち豪奢を極め出しました。「青ペン」と言うのは亜鉛屋根に青ペンキを塗った達磨茶屋です。当時は今ほど東京風にならず、軒には糸瓜なども・・・ 芥川竜之介 「温泉だより」
・・・ クラバックは細い目をかがやかせたまま、ちょっとマッグの手を握ると、いきなり戸口へ飛んでいきました。もちろんもうこの時には隣近所の河童が大勢、トックの家の戸口に集まり、珍しそうに家の中をのぞいているのです。しかしクラバックはこの河童たち・・・ 芥川竜之介 「河童」
・・・今にきっとシャヴルの代りに画筆を握るのに相違ない。そのまた挙句に気違いの友だちに後ろからピストルを射かけられるのである。可哀そうだが、どうも仕方がない。 保吉はとうとう小径伝いに玄関の前の広場へ出た。そこには戦利品の大砲が二門、松や笹の・・・ 芥川竜之介 「保吉の手帳から」
・・・私は産室に降りていって、産婦の両手をしっかり握る役目をした。陣痛が起る度毎に産婆は叱るように産婦を励まして、一分も早く産を終らせようとした。然し暫くの苦痛の後に、産婦はすぐ又深い眠りに落ちてしまった。鼾さえかいて安々と何事も忘れたように見え・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・ 驚いて白髪を握ると、耳が暖く、襖が明いて、里見夫人、莞爾して覗込んで、「もう可いんですよ。立花さん。」 操は二人とも守り得た。彫刻師はその夜の中に、人知れず、暗ながら、心の光に縁側を忍んで、裏の垣根を越して、庭を出るその後姿を・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・そして三円ぐらい手に握ると、昼間は将棋などして時間をつぶし、夜は二ツ井戸の「お兄ちゃん」という安カフェへ出掛けて、女給の手にさわり、「僕と共鳴せえへんか」そんな調子だったから、お辰はあれでは蝶子が可哀想やと種吉に言い言いしたが、種吉は「坊ん・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・そして二月経ったが、手一つ握るのも躊躇される気の弱さだった。手相見てやろかと、それがやっとのことだった。手相にはかねがね趣味をもっていて、たまに当るようなこともあった。 瞳の手は案外に荒れてザラザラしていたが、坂田は肩の柔かさを想像して・・・ 織田作之助 「雪の夜」
・・・』『ナニあの男の事だからいったんかせぎに出たからにはいくらかまとまった金を握るまでは帰るまい、堅い珍しい男だからどうか死なしたくないものだ。』『ほんとにね』とお絹は口の中、叔母は大きな声で『大丈夫、それにあの人は大酒を飲むの何の・・・ 国木田独歩 「置土産」
・・・人の眠催す様なるこの水音を源叔父は聞くともなく聞きてさまざまの楽しきことのみ思いつづけ、悲しきこと、気がかりのこと、胸に浮かぶ時は櫓握る手に力入れて頭振りたり。物を追いやるようなり。 家には待つものあり、彼は炉の前に坐りて居眠りてやおら・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・婦人の自由の実力を握るための職業進出である。婦人は母性愛と家庭とをある程度まで犠牲としても、自分を保護し、自由を獲得しなければならない事情がある。これは結局は社会改革と男性の矜りある自覚とにまたなければならない問題である。母性愛と職業との矛・・・ 倉田百三 「婦人と職業」
出典:青空文庫