・・・』そこで私は徐に赤いモロッコ皮の椅子を離れながら、無言のまま、彼と握手を交して、それからこの秘密臭い薄暮の書斎を更にうす暗い外の廊下へ、そっと独りで退きました。すると思いがけなくその戸口には、誰やら黒い人影が、まるで中の容子でも偸み聴いてい・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・「どうだい、握手で××××のは?」「いけねえ。いけねえ。人真似をしちゃ。」 今度は堀尾一等卒が、苦笑せずにはいられなかった。「××れると思うから腹が立つのだ。おれは捨ててやると思っている。」 江木上等兵がこう云うと、田口・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・長い説教ではなかったが神の愛、貧窮の祝福などを語って彼がアーメンといって口をつぐんだ時には、人々の愛心がどん底からゆすりあげられて思わず互に固い握手をしてすすり泣いていた。クララは人々の泣くようには泣かなかった。彼女は自分の眼が燃えるように・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・一同かわるがわる握手する。花田 ともちゃん、おまえは俺たちの力だった、慰めだった、お母さんだった、かわいい娘だった。おまえと別れるのは俺たち全くつらいや。だからおまえの額に一度だけみんなで接吻するのを許しておくれ。なあ戸部・・・ 有島武郎 「ドモ又の死」
・・・二人とも上手に握手をなさい。」と先生はにこにこしながら僕達を向い合せました。僕はでもあんまり勝手過ぎるようでもじもじしていますと、ジムはいそいそとぶら下げている僕の手を引張り出して堅く握ってくれました。僕はもうなんといってこの嬉しさを表せば・・・ 有島武郎 「一房の葡萄」
・・・ つかつかと進んで、驚いた技手の手を取って握手したのである。 そこで知己になった。大正三年二月 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・と、博士は、信吉に、堅い握手をしました。四 家に帰ると、妹のみつ子は一人で千代紙を出して遊んでいました。「兄さん、どこへいってきたの?」「いま、僕、学者にあってきたのだよ。」と、信吉は得意になって、「僕の拾った勾・・・ 小川未明 「銀河の下の町」
・・・そして、新理想に輝く、社会建設の道へ、強い、真理と正義心との握手から、男女共同の事業に行くべきことが予期されている。 小川未明 「婦人の過去と将来の予期」
・・・ 髪の毛を前へおろして、糊の寝た浴衣を着、暑いのに黒足袋を穿いていた。にこにこして立っているのを、先ほどの男が椅子を持って来て坐らせた。 印度人は非道いやつであった。 握手をしようと言って男の前へ手を出す。男はためらっていたが思・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・ 自分は握手して、黙礼して、此不幸なる青年紳士と別れた、日は既に落ちて余光華かに夕の雲を染め、顧れば我運命論者は淋しき砂山の頂に立って沖を遙に眺て居た。 其後自分は此男に遇ないのである。・・・ 国木田独歩 「運命論者」
出典:青空文庫