・・・かくて温まりし掌もて心地よげに顔を摩りたり。いたく古びてところどころ古綿の現われし衣の、火に近き裾のあたりより湯気を放つは、朝の雨に霑いて、なお乾すことだに得ざりしなるべし。 あな心地よき火や。いいつつ投げやりし杖を拾いて、これを力に片・・・ 国木田独歩 「たき火」
・・・時には畠の土を取って、それを自分の脚の弱い皮膚に擦り着けた。 塾の小使も高瀬には先生だった。音吉は見廻りに来て、鍬の持ち方から教えた。 毎日のように高瀬は塾の受持の時間を済まして置いて、家へ帰ればこの畠へ出た。ある日、音吉が馬鈴薯の・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・白樺の木どもは、これから起って来る、珍らしい出来事を見ようと思うらしく、互に摩り寄って、頸を長くして、声を立てずに見ている。』見ているのは、白樺の木だけではなかった。二人の女の影のように、いつのまにか、白樺の幹の蔭にうずくまっている、れいの・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・ お絹は蔭でそうは言っても、面と向かうと当擦りを言うくらいがせいぜいであった。少し強く出られると返す言葉がなくなって、泣きそうな目をするほど、彼女は気弱であった。いつかの夜道太は辰之助と、三四人女を呼んだあとで、下へおりて辰之助の立てた・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・こんにゃくはこんにゃく芋を擦りつぶして、一度煮てからいろんな形に切り、それを水に一ト晩さらしといてあくをぬく。諸君がとんぼとりにつかうもちは、その芋をつぶすときに出来るおねばのことであるが、さてそのこんにゃく屋さんは、はたらき者の爺さんと婆・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・ 下女は障子をあけて、椽側へ人指しゆびを擦りつけながら、「御覧なさりまっせ」と黒い指先を出す。「なるほど、始終降ってるんだ。きのうは、こんなじゃなかったね」と圭さんが感心する。「ねえ。少し御山が荒れておりますたい」「おい・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・例えば椅子の足の折れかかったのに腰をかけて uneasy であるとか、ズボン釣りを忘れたためズボンが擦り落ちそうで uneasy であるとか、すべて落ちつかぬ様子であります。もちろん落ちつかぬ様子と云うのは、ある時間の経過を含む状態には相違・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・その中にこのごしごしと物を擦り減らすような異な響だけが気になった。 自分の室はもと特等として二間つづきに作られたのを病院の都合で一つずつに分けたものだから、火鉢などの置いてある副室の方は、普通の壁が隣の境になっているが、寝床の敷いてある・・・ 夏目漱石 「変な音」
・・・ その人は、赤い眼の下のとこを擦りながら、ジョバンニを見おろして云いました。「おっかさんが病気なんですから今晩でないと困るんです。」「ではもう少したってから来てください。」その人はもう行ってしまいそうでした。「そうですか。で・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
・・・でそんなら門歯は何のため、門歯は食物を噛み取る為臼歯は何のため植物を擦り砕くため、犬歯はそんなら何のためこれは肉を裂くためです。これでお判りでしょう。臼歯は草食動物にあり犬歯は肉食類にある。人類に混食が一番適当なことはこれで見てもわかるので・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
出典:青空文庫