・・・ その中に婆やが畳の上に握っていた碁石をばらりと撒くと、泣きじゃくりをしていた八っちゃんは急に泣きやんで、婆やの膝からすべり下りてそれをおもちゃにし始めた。婆やはそれを見ると、「そうそうそうやっておとなにお遊びなさいよ。婆やは八っち・・・ 有島武郎 「碁石を呑んだ八っちゃん」
・・・……先ず僕が自己の額に汗して森を開き林を倒し、そしてこれに小豆を撒く、……」「その百姓が見たかったねエハッハッハッハッハッハッ」と竹内は笑いだした。「イヤ実地行ったのサ、まア待ち給え、追い追い其処へ行くから……、その内にだんだんと田・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・いつでもあそこへ餌を撒くんです」「あ、あれは足をどうかしてるようですね」 初やがすたすたとやってくる。紺の絆天の上に前垂をしめて、丸く脹れている。「お嬢さん」「何?」「いいや、男のお嬢さんじゃわいの」「まあ。今お着換・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・屋根がトタンだから、風が吹いて雨が靡くとバラバラ、小豆を撒くような音がした。さもなければザッ、ザッ、気味悪くひどい雨音がする。一太は、小学校へ一年行ったぎりで仮名も碌に知らなかった。雑誌などなかったから、一太は寝転んだまま、小声で唐紙を読ん・・・ 宮本百合子 「一太と母」
・・・ささやかな紙の障子はゆるがぬ日に耀き渡りマジョリカの小壺に差した三月の花 白いナーシサス、薄藤色の桜草はやや疲れ仄かに花脈をうき立たせ乍らも心を蕩す優しさで薫りを撒く。此深い白昼の沈黙と溢れ・・・ 宮本百合子 「海辺小曲(一九二三年二月――)」
・・・芸術は、小さい自分というホウセン花の実のようなものを歴史と社会とのよりつよい指さきでさわって、はぜさせて、善意と探求と成長の意欲を人間生活のなかにゆたかに撒くことでしかなかろうと思う。自分を突破して客観的真実に迫ってゆく歓喜が余り深くこまや・・・ 宮本百合子 「作品と生活のこと」
・・・を彼那に狙っているのか。……やったな。驚いた。俺さえ予定には入れていなかった此は一幕だ。――ついでに、一寸手を貸すかな。真実は根もない憎みや恐怖や、最大の名薬「夢中」を撒くと、同類の胸も平気で刺すから愉快なものだ。ヴィンダー さてもう一・・・ 宮本百合子 「対話」
・・・田舎風な都会、一年の最高頂の時期は、罵声と殴り合いの合奏する巨額な金の集散、そのおこぼれにあずからんとする小人の詭計の跳梁、泥酔、嬌笑に満ち、平日は通俗絵入新聞が地方客に向って撒く文化を糧としつつ、ヴォルガ沿岸の農民対手の小商売で日暮してい・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
・・・しかも彼は少数の物象にとどまることをしないで、彼を取り巻く無数の物象に、多情と思えるほどな愛情をふり撒く。『地下一尺集』の諸篇はこの多情な、自然及び芸術との「情事」の輝かしい記録である。伊豆の海岸。江戸。京、大阪。長崎。奈良。北京。徐州。洛・・・ 和辻哲郎 「享楽人」
出典:青空文庫