・・・心境小説的私小説はあくまで傍流の小説であり、小説という大河の支流にすぎない。人間の可能性という大きな舟を泛べるにしては、余りに小河すぎるのだ。けっして主流ではない。近代小説という大海に注ぐには、心境小説的という小河は、一度主流の中へ吸い込ま・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・ 大川の支流のこの小川のここは昔からの少年の釣り場である。豊吉は柳の陰に腰掛けて久しぶりにその影を昔の流れに映した。小川の流れはここに来て急に幅広くなって、深くなって静かになって暗くなっている。 柳の間をもれる日の光が金色の線を水の・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・水源の濁り水は大渦小渦を巻きながらそろそろふくれあがって六本の支流を合せてたちまち太り、身を躍らせて山を韋駄天ばしりに駈け下りみちみち何百本もの材木をかっさらい川岸の樫や樅や白楊の大木を根こそぎ抜き取り押し流し、麓の淵で澱んで澱んでそれから・・・ 太宰治 「ロマネスク」
・・・は言うまでもなく、明和九年二月二十九日の午ごろ目黒行人坂大円寺から起こった火事はおりからの南西風に乗じて芝桜田から今の丸の内を焼いて神田下谷浅草と焼けつづけ、とうとう千住までも焼け抜けて、なおその火の支流は本郷から巣鴨にも延長し、また一方の・・・ 寺田寅彦 「函館の大火について」
・・・今まではその地名さえも知られなかったセエヌの河畔は忽ちの間に散歩の人の雑沓を来すようになって、最初の発見者 Daubigny はとうとうセエヌ河の本流を見捨て Oise の支流を遡って Anvers の遠方へ逃げ込み、Corot はやっと水・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・その途中から支流は東の方に向い、弥勒寺の塀外を流れ、富川町や東元町の陋巷を横ぎって、再び小名木川の本流に合している。下谷の三味線堀が埋立てられた後、市内の堀割の中でこの六間堀ほど暗惨にして不潔な川はあるまい。わが亡友A氏は明治四十二年頃から・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
・・・これによって、わたくしはむかし小名木川の一支流が砂村を横断して、中川の下流に合していた事を知った。この支流は初め隠坊堀とよばれ、下流に至って境川、また砂村川と称せられたことをも知り得た。露伴先生の紀行によると、明治三十年頃、境川の両岸には樹・・・ 永井荷風 「放水路」
・・・ 小十郎は谷に入って来る小さな支流を五つ越えて何べんも何べんも右から左左から右へ水をわたって溯って行った。そこに小さな滝があった。小十郎はその滝のすぐ下から長根の方へかけてのぼりはじめた。雪はあんまりまばゆくて燃えているくらい。小十郎は・・・ 宮沢賢治 「なめとこ山の熊」
・・・ネ河の支流だ。スモーリヌイの裏を流れている。我々は馬じゃない! 鼻の穴をふくらがした馬の面が壁新聞に描いてある。スモーリヌイの食堂のパン切はいつもひどく大きく切ってある。人々はみんな食べない。半分かじって放ったらかし・・・ 宮本百合子 「スモーリヌイに翻る赤旗」
・・・椒江の支流で、始豊渓という川の左岸を迂回しつつ北へ進んで行く。初め陰っていた空がようよう晴れて、蒼白い日が岸の紅葉を照している。路で出合う老幼は、皆輿を避けてひざまずく。輿の中では閭がひどくいい心持ちになっている。牧民の職にいて賢者を礼する・・・ 森鴎外 「寒山拾得」
出典:青空文庫