・・・ がその女性の霊性というものは、やはり宗教心まで達しないと本当の光りを放つことは期待できない。霊性というものも粗鉱や、粗絹のようなもので、磨いたり、練ったりしなくては本当の光沢は出ないものである。仏教では一切衆生悉有仏性といって、人間で・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・ 百姓達は、それに対して若者が知らして帰ると共に、一勢に豚を小屋から野に放つことに申合せていた。 健二は、慌てゝ柵を外して、十頭ばかりを小屋の外へ追い出した。中には、外に出るのを恐れて、柵の隅にうずくまっているやつがあった。そういう・・・ 黒島伝治 「豚群」
・・・鷹を放つ者は鶴を獲たり鴻を獲たりして喜ぼうと思って郊外に出るのであるが、実は沼沢林藪の間を徐ろに行くその一歩一歩が何ともいえず楽しく喜ばしくて、歩に喜びを味わっているのである。何事でも目的を達し意を遂げるのばかりを楽しいと思う中は、まだまだ・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・馬酔木もさかんな香気を放つようになった。この花が庭に咲くようになってから、私の部屋の障子の外へは毎日のように蜂が訪れて来た。 あかるい光線が部屋の畳の上までさして来ているところで、私はいろいろと思い出してみた。六人ある姉妹の中で、私の子・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・広々とした河水がまぶしいような銀色の光を放つようになる。みんなが云い合せたように目を小さくつぶらなくてはならないほど光を放つようになる。そのうち天から暖かい黄金がみなのジャケツの上に降って来て、薄い羅紗の地質を通して素肌の上に焼け付くのであ・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・おりからの炎熱とともに、ただならぬ悪臭を放つようになった。こんどは家内が、まいってしまった。「ご近所にわるいわ。殺してください」女は、こうなると男よりも冷酷で、度胸がいい。「殺すのか」私は、ぎょっとした。「もう少しの我慢じゃないか」・・・ 太宰治 「畜犬談」
・・・バスから降りて、まず崖の上から立小便して、それから、ああいいながめだ、と讃嘆の声を放つのである。 遊覧客たちの、そんな嘆声に接して、私は二階で仕事がくるしく、ごろり寝ころんだまま、その天下第一のながめを、横目で見るのだ。富士が、手に取る・・・ 太宰治 「富士に就いて」
・・・次第次第に濃い嘘を吐いていって、切磋琢磨され、ようやく真実の光を放つ。これは私ひとりの場合に限ったことではないようだ。人間万事嘘は誠。ふとその言葉がいまはじめて皮膚にべっとりくっついて思い出され、苦笑した。ああ、これは滑稽の頂点である。黄村・・・ 太宰治 「ロマネスク」
・・・その歌集はおそらく今の歌壇に一つの異彩を放つばかりでなく、現代世相の一面の活きた記録としても意義のあるものになるだろうと思っている。 寺田寅彦 「宇都野さんの歌」
・・・その青白い粉を吹いたような葉を取って指頭でもむと一種特別な強い臭気を放つのである。この木は郷里の家以外についぞどこでも見たという記憶がない。近ごろよく喫茶店などの卓上を飾るあの闊葉のゴムの木とは別物である。しかし今でも時々このいわゆる「ゴム・・・ 寺田寅彦 「試験管」
出典:青空文庫