・・・今も、黄いろい秩父の対の着物に茶博多の帯で、末座にすわって聞いているのを見ると、どうしても、一生を放蕩と遊芸とに費した人とは思われない。中洲の大将や小川の旦那が、「房さん、板新道の――何とか云った…そうそう八重次お菊。久しぶりであの話でも伺・・・ 芥川竜之介 「老年」
・・・たまたま以前私の書いた詩を読んだという人に逢って昔の話をされると、かつていっしょに放蕩をした友だちに昔の女の話をされると同じ種類の不快な感じが起った。生活の味いは、それだけ私を変化させた。「――新体詩人です」といって、私を釧路の新聞に伴れて・・・ 石川啄木 「弓町より」
・・・ その人たちというのは、主に懶惰、放蕩のため、世に見棄てられた医学生の落第なかまで、年輩も相応、女房持なども交った。中には政治家の半端もあるし、実業家の下積、山師も居たし、真面目に巡査になろうかというのもあった。 そこで、宗吉が当時・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・思いやると、この放蕩おやじでも実があって、可哀そうだ。吉弥こそそんな――馬鹿馬鹿しい手段だが――熱のある情けにも感じ得ない無神経者――不実者――。 こういうことを考えながら、僕もまたその無神経者――不実者――を追って、里見亭の前へ来た。・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・の文士らしく若気の至りの放蕩無頼を気取って、再びデンと腰を下し、頬杖ついて聴けば、十銭芸者の話はいかにも夏の夜更けの酒場で頽廃の唇から聴く話であった。 もう十年にもなるだろうか、チェリーという煙草が十銭で買えた頃、テンセンという言葉が流・・・ 織田作之助 「世相」
・・・ そして、私は放蕩した。宮川町。悔恨と焦躁の響きのような鴨川のせせらぎの音を聴きながら、未知の妓の来るのを待っている娼家の狭い部屋は、私の吸う煙草のけむりで濛々としていた。三条京阪から出る大阪行きの電車が窓の外を走ると、ヘッドライトの灯・・・ 織田作之助 「中毒」
・・・しばらくすると、また放蕩した。そして帰るときは、やはり折檻を怖れて蒼くなった。そろそろ肥満して来た蝶子は折檻するたびに息切れがした。 柳吉が遊蕩に使う金はかなりの額だったから、遊んだあくる日はさすがに彼も蒼くなって、盞も手にしないで、黙・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・総領の新太郎は放蕩者で、家の職は手伝わず、十五の歳から遊び廻ったが、二十一の時兵隊にとられて二年後に帰って来ると、すぐ家の金を持ち出して、浅草の十二階下の矢場の女で古い馴染みだったのと横浜へ逃げ、世帯を持った翌月にはもう実家へ無心に来た。父・・・ 織田作之助 「妖婦」
・・・九如の子は放蕩ものであったので、花柳の巷に大金を捨てて、家も段に悪くなった。そこへ付込んで廷珸は杜生に八百金を提供して、そして「御返金にならない場合でも御宅の窯鼎さえ御渡し下されば」ということをいって置いた。杜生はお坊さんで、廷珸の謀った通・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・彼女は旦那の生前に、自分がもっと旦那の酒の相手でもして、唄の一つも歌えるような女であったなら、旦那もあれほどの放蕩はしないで済んだろうか、と思い出して見た。おげんはこんなことも考えた。彼女と旦那の間に出来たお新は、幼い時分に二階の階段から落・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
出典:青空文庫