・・・かくて政権は確実に北条氏の掌中に帰し、天下一人のこれに抗議する者なく、四民もまたこれにならされて疑う者なき有様であった。後世の史家頼山陽のごときは、「北条氏の事我れ之を云ふに忍びず」と筆を投じて憤りを示したほどであったが、当時は順逆乱れ、国・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・すると、その労働者が、「馬鹿云え。政権一度われらの手に入らば、あすこはゲー・ペー・ウの本部になるんだ。そのために今から精々立派な、ちっとやそっとで壊れない丈夫なものにして置くんだ!」 と云った。そういう筋のものだった。 小説嫌い・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・徳川家が将軍に成った末で余り勢いは強くなかったけれども、とにかく将軍というものが政権を持っておってその上に天子様がおられるという。これは一般の法則でないという処から、習慣的に続いて来た幕府というものを引っ繰り返したというのは、その引っ繰り返・・・ 夏目漱石 「模倣と独立」
・・・の一方について全権を有するその代りには、これをして断じて政事に関するを得せしめず、如何なる場合においても、学校教育の事務に関する者をして、かねて政事の権をとらしむるが如きは、ほとんどこれを禁制として、政権より見れば、学者はいわゆる長袖の身分・・・ 福沢諭吉 「学問の独立」
・・・而してその政権はもとより上士に帰することなれば、上士と下士と対するときは、藩法、常に上士に便にして下士に不便ならざるを得ずといえども、金穀会計のことに至ては上士の短所なるを以て、名は役頭または奉行などと称すれども、下役なる下士のために籠絡せ・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・ 窃かに世情を視るに、近来は政治の議論漸く喧しくして、社会の公権即ち政権の受授につき、これを守らんとする者もまた取らんとする者も、頻りに熱心して相争うが如くなるは至極当然の次第にして、文明の国民たる者は国政に関すべき権利あるが故に、これ・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・ 我封建の時代、百万石の大藩に隣して一万石の大名あるも、大名はすなわち大名にして毫も譲るところなかりしも、畢竟瘠我慢の然らしむるところにして、また事柄は異なれども、天下の政権武門に帰し、帝室は有れども無きがごとくなりしこと何百年、この時・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・そのために、スペインの民主戦線に有名なパッショナリーアと呼ばれた婦人がいたことも知らなければ、大戦中フランスの大学を卒業した知識階級の婦人たちの団体が、どんなにフランスの自由と解放のためにナチス政権の下で勇敢な地下運動を国際的に展開したかと・・・ 宮本百合子 「明日の知性」
・・・ アメリカ国内の民主的なすべての人々は、政権争いをこえて世界をあかるくするための誠意の披瀝されたウォーレスの綱領を好意的に迎えた。共和党と根本においては大差のない民主党が、トルーマンを当選させるためには、その政策をかけひきなしに民主的人・・・ 宮本百合子 「新しい潮」
・・・ 一九三三年ナチスが政権をとってのち、フランスを中心としてヨーロッパ、アメリカには反ファシズム文化擁護の大運動がおこっていた。 一九三四年八月十七日から半月の間モスクで「五十二の民族、五十二の言葉、五十二の文学」を一堂にあつめて第一・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十一巻)」
出典:青空文庫