・・・そこで、あの容貌のよい、利発者の娘が、お籠りをするにも、襤褸故に、あたりへ気がひけると云う始末でございました。」「へえ。そんなに好い女だったかい。」「左様でございます。気だてと云い、顔と云い、手前の欲目では、まずどこへ出しても、恥し・・・ 芥川竜之介 「運」
・・・何故と云えば坊主共は、金が銀に変ったのを見ると、今まで金無垢なるが故に、遠慮をしていた連中さえ、先を争って御煙管拝領に出かけて来た。しかも、金無垢の煙管にさえ、愛着のなかった斉広が、銀の煙管をくれてやるのに、未練のあるべき筈はない。彼は、請・・・ 芥川竜之介 「煙管」
・・・この故である。 僕は一方鬼神力に対しては大なる畏れを有っている。けれどもまた一方観音力の絶大なる加護を信ずる。この故に念々頭々かの観音力を念ずる時んば、例えばいかなる形において鬼神力の現前することがあるとも、それに向ってついに何等の畏れ・・・ 泉鏡花 「おばけずきのいわれ少々と処女作」
・・・作にも趣味を感じ、庭の掃除は勿論、手鉢の水を汲み替うるにも強烈に清新を感ずるのである、客を迎えては談話の興を思い客去っては幽寂を新にする、秋の夜などになると興味に刺激せられて容易に寐ることが出来ない、故に茶趣味あるものに体屈ということはない・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
・・・それ故に椿岳の生涯は普通の画人伝や畸人伝よりはヨリ以上の興味に富んで、過渡期の畸形的文化の特徴が椿岳に由て極端に人格化された如き感がある。言換えれば椿岳は実にこの不思議な時代を象徴する不思議なハイブリッドの一人であって、その一生はあたかも江・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ 今日の社会は経済的関係なるが故に、士農工商如何なる職業のものも生活を談じ米塩を説いて少しも憚からず。然るに独り文人が之を口にする時は卑俗視せられて、恰も文人に限りては労力の報酬を求むる権利が無いように看做されてる。文人自身も亦此の当然・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・伝に就て言うたに過ぎない、新約聖書全体が同じ思想を以て充溢れて居る、即ち知る聖書は来世の実現を背景として読むべき書なることを、来世抜きの聖書は味なき意義なき書となるのである、「我等主の懼るべきを知るが故に人に勧む」とパウロは言うて居る、「懼・・・ 内村鑑三 「聖書の読方」
・・・それ故に母親が自から改めなければ、強権の力を頼んでも試験勉強の如きを廃して、幾百万の児童を救ってもらいたいと思うのであります。 お母さんだけが、いつの場合にでも、子供のほんとうの味方でありましょう。そのお母さんが、もし子供の人格を重んぜ・・・ 小川未明 「お母さんは僕達の太陽」
・・・ 真面目に自己というものを考える時は常に色彩について、嗅覚に付て、孤独を悲しむ感情に付て、サベージの血脈を伝えたる本能に付て、最も強烈であり、鮮かであった少年時代が追懐せられる。故に、習慣に累せられず、知識に妨げられずに、純鮮なる少年時・・・ 小川未明 「感覚の回生」
・・・せぬ、……お前も忘れてはおるまい、……青いクロース背に黒文字で書名を入れた百四十八頁の、一頁ごとに誤植が二つ三つあるという薄っぺらい、薄汚い本で、……本当のこともいくらか書いてあったが、……いや、それ故に一層お前は狼狽して、莫迦げた金と人手・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
出典:青空文庫