・・・と云う、古い札が下っていますが、――時々和漢の故事を引いて、親子の恩愛を忘れぬ事が、即ち仏恩をも報ずる所以だ、と懇に話して聞かせたそうです。が、説教日は度々めぐって来ても、誰一人進んで捨児の親だと名乗って出るものは見当りません。――いや勇之・・・ 芥川竜之介 「捨児」
・・・「馬を見て鼠……何だか故事がありそうで変ですが――はあ、そうすると、同時に、鼠が馬に見えないとも限りませんかしら。」「は?」「鼠が馬に見えるかも知れませんが、どうでしょう。」「いや、おっしゃると。」 主人は少し傾いたが、・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・馬琴の衒学癖は病膏肓に入ったもので、無知なる田夫野人の口からさえ故事来歴を講釈せしむる事が珍らしくないが、自ら群書を渉猟する事が出来なくなってからも相変らず和漢の故事を列べ立てるのは得意の羅大経や『瑯ろうやたいすいへん』が口を衝いて出づるの・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・の学説も、そのことごとくが全くの故事付けではないかもしれないという気がして来るのである。 十 四、五月頃に新宿駅前から帝都座前までの片側の歩道にヨーヨーを売る老若男女の臨時商人が約二十人居た。それが、七月半ば・・・ 寺田寅彦 「KからQまで」
・・・唐山にはかういふ故事がある。……。和漢の書を引て瞽家を威し。しつたぶりが一生の疵になつて……」というのである。 西鶴の知識の種類はよほど変っている。稀に書物からの知識もあるが、それはいかにも附焼刃のようで直接の読書によるものと思われない・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
・・・近頃海外では農芸に電気を応用する事がようやく盛んになろうとしているから、稲妻の伝説と何か故事つけが出来そうである。 九 炭 木材を蒸焼にすると大抵の有機物は分解して一部は瓦斯になって逃げ・・・ 寺田寅彦 「歳時記新註」
・・・といったような論文の材料にでもして故事付けの数式をこね廻しでもすると、あとでとんだ恥をかくところであった。実験室ばかりで仕事をしている学者達はめったに引っかかる危険のないようなこうした種類の係蹄が時々「天然」の研究者の行手に待伏せしているの・・・ 寺田寅彦 「静岡地震被害見学記」
・・・などという議論があり、結局五行説か何かへ持って行って無理に故事つけているところがおもしろい。五行説は物理学の卵であるとも言われる。これについて思い出すのは十余年前の夏大島三原火山を調べるために、あの火口原の一隅に数日間のテント生活を・・・ 寺田寅彦 「化け物の進化」
・・・ 八「唐土にても墨張とて学問にあまり精を入れしゆえにつりし蚊帳が油煙にてまっ黒になりしという故事に引きくらべて文盲儒者の不性に身持ちをして人に誇るものあり。いかに学問するとても顔や手を洗うひまのなき事やはある。」(柳里恭・・・ 寺田寅彦 「人の言葉――自分の言葉」
・・・然かのみならず古文古歌の故事は往々浮華に流れて物理の思想に乏しく、言葉は優美にして其実は婬風に逸するもの多し。例えば世の中に普通なる彼の百人一首の如き、夢中に読んで夢中に聞けばこそ年少女子の為めに無害なれども、若しも一々これを解釈して詳に今・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
出典:青空文庫