・・・十五人の男の歩く足音は、穹窿になっている廊下に反響を呼び起して、丁度大きな鉛の弾丸か何かを蒔き散らすようである。 処刑をする広間はもうすっかり明るくなっている。格子のある高い窓から、灰色の朝の明りが冷たい床の上に落ちている。一間は這入っ・・・ 著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外 「罪人」
・・・並んだ小屋は軒別に、声を振立て、手足を揉上げ、躍りかかって、大砲の音で色花火を撒散らすがごとき鳴物まじりに人を呼ぶのに。 この看板の前にのみ、洋服が一人、羽織袴が一人、真中に、白襟、空色紋着の、廂髪で痩せこけた女が一人交って、都合三人の・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・ この、秋はまたいつも、食通大得意、というものは、木の実時なり、実り頃、実家の土産の雉、山鳥、小雀、山雀、四十雀、色どりの色羽を、ばらばらと辻に撒き、廂に散らす。ただ、魚類に至っては、金魚も目高も決して食わぬ。 最も得意なのは、も一・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・人間の黒い手は、これを見るが最後掴み散らす。当人は、黄色い手袋、白い腕飾と思うそうだ。お互に見れば真黒よ。人間が見て、俺たちを黒いと云うと同一かい、別して今来た親仁などは、鉄棒同然、腕に、火の舌を搦めて吹いて、右の不思議な花を微塵にしょうと・・・ 泉鏡花 「紅玉」
・・・ その燃えさしの香の立つ処を、睫毛を濃く、眉を開いて、目を恍惚と、何と、香を散らすまい、煙を乱すまいとするように、掌で蔽って余さず嗅ぐ。 これが薬なら、身体中、一筋ずつ黒髪の尖まで、血と一所に遍く膚を繞った、と思うと、くすぶりもせず・・・ 泉鏡花 「菎蒻本」
・・・老媼は更に取合ねど、鼻はなおもずうずうしく、役にも立たぬことばかり句切もなさで饒舌散らす。その懊悩さに堪えざれば、手を以て去れと命ずれど、いっかな鼻は引込まさぬより、老媼はじれてやっきとなり、手にしたる針の尖を鼻の天窓に突立てぬ。 あわ・・・ 泉鏡花 「妖僧記」
・・・くだから、女学校の先生たちは盛んに男女交際を鼓舞し、結婚の自由を主張し、男女の学生が自由に往来するを少しも干渉しないのみならず、教師自身が率先して種々の名目の下に青年男女を会同し、自由に野方図に狎戯け散らすのを寛大に見た。随って当時の女学校・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・ その位混むと、乗客は次第に人間らしい感覚を失って、自然動物的な感覚になって、浅ましくわめき散らすのだったが、わずかに人間的な感覚といえば、何となくみじめな想いと、そして突如として肚の底からこみ上げて来る得体の知れない何ものかに対する得・・・ 織田作之助 「昨日・今日・明日」
・・・ いったいどんな樹の花でも、いわゆる真っ盛りという状態に達すると、あたりの空気のなかへ一種神秘な雰囲気を撒き散らすものだ。それは、よく廻った独楽が完全な静止に澄むように、また、音楽の上手な演奏がきまってなにかの幻覚を伴うように、灼熱・・・ 梶井基次郎 「桜の樹の下には」
・・・蹄で落葉を蹶散らす音、これは騎兵演習の斥候か、さなくば夫婦連れで遠乗りに出かけた外国人である。何事をか声高に話しながらゆく村の者のだみ声、それもいつしか、遠ざかりゆく。独り淋しそうに道をいそぐ女の足音。遠く響く砲声。隣の林でだしぬけに起こる・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
出典:青空文庫