・・・ しかしここで私の考えてみたいと思う事は、そういう大多数の行為の是非の問題ではなくて、そういう一般乗客の傾向から必然の結果として起こる電車混雑の律動に関する科学的あるいは数理的の問題である。 問題を簡単にするために、次のような場合を・・・ 寺田寅彦 「電車の混雑について」
・・・またこの現象が多くの実験的数理的研究によって、いくらか詳しくわかったとしたところで、それからさきの問題は無限である。そうして何の何某が何日にどこでこれに遭遇するかを予言する事はいかなる科学者にも永久に不可能である。これをなしうる・・・ 寺田寅彦 「化け物の進化」
・・・もっとも文法のごときものでも、これを数理的の問題として取り扱う事が必ずしも不可能とは思われない。事がらが、見方によってはある有限数の型式的要素の空間的排列の方式に関するものであると見る事ができるからである。輓近の数学の種々な方面の異常な進歩・・・ 寺田寅彦 「比較言語学における統計的研究法の可能性について」
・・・それはとにかくシュミット教授についてただ一つ可笑しかった事は、先生が英国の数理物理学の大家 Love のことをローフェと発音していたことである。 地球物理談話会もほんの五、六人の仲間であったが、その中にまだ若いコールシュッター氏も交じっ・・・ 寺田寅彦 「ベルリン大学(1909-1910)」
・・・次は数理的分析の能力でこれをSと名づける。第三は器械的実験によって現象を系統化し、帰納する能力である。これをKと名づける。今もしこの三つの能力が測定の可能な量であると仮定すれば、LSKの三つのものを座標として、三次元の八分一空間を考え、その・・・ 寺田寅彦 「ルクレチウスと科学」
・・・「論理と数理」の論文において触れた如く、私は推論式というものが、固、真の矛盾的自己同一論理の形式でなければならないと考えるのである。従来はギリシヤ論理から発達して、すべて分類的論理の形式が基となっていたのではなかろうか。・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・それの安定を保つためには、微妙な数理によって組み建てられた、支柱の一つ一つが必要であり、それの対比と均斉とで、辛うじて支えているのであった。しかも恐ろしいことには、それがこの町の構造されてる、真の現実的な事実であった。一つの不注意な失策も、・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・其原因様々なる中にも、少小の時より教育の方針を誤りて自尊自重の徳義を軽んじ、万有自然の数理を等閑にし、徒に浮華に流れて虚文を弄ぶが如き、自から禍源の大なるものと言う可し。例えば学校の女生徒が少しく字を知り又洋書など解し得ると同時に、所謂詠歌・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・ 左れば瘠我慢の一主義は固より人の私情に出ることにして、冷淡なる数理より論ずるときはほとんど児戯に等しといわるるも弁解に辞なきがごとくなれども、世界古今の実際において、所謂国家なるものを目的に定めてこれを維持保存せんとする者は、この主義・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・もし数理の観念と打算性と結びつけてしか考えられないとしたら、それはそれ等の人々の恥辱を語るものであろう。 中学や高校生の質が急に低下して来ていることを、明日の日本のために慶賀する人が果してあるだろうか。形式にしばられれば、徳育も一つの頽・・・ 宮本百合子 「国民学校への過程」
出典:青空文庫