・・・でないという説もあるかもしれないが、そういうことになれば、現代わが文壇でポピュラーな小説的作品中の多数のものはやはりもはや小説でなく創作でなくなるのである。創作とは空想と同義ではない。題材の取り扱いの上に作者の独創があるか無いかが問題になる・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・『今戸心中』が明治文壇の傑作として永く記憶せられているのは、篇中の人物の性格と情緒とが余す所なく精細に叙述せられているのみならず、また妓楼全体の生活が渾然として一幅の風俗画をなしているからである。篇中の事件は酉の市の前後から説き起されて・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・というような訳だから、私はただ偶然そんなものを書いたというだけで、別に当時の文壇に対してどうこうという考も何もなかった。ただ書きたいから書き、作りたいから作ったまでで、つまり言えば、私がああいう時機に達して居たのである。もっとも書き初めた時・・・ 夏目漱石 「処女作追懐談」
・・・そのくせニイチェの名前だけは、日本の文壇に早くから紹介されて居た。生田長江氏がその全訳を出す以前にも、既に高山樗牛、登張竹風等の諸氏によつて、早く既に明治時代からニイチェが紹介されて居た。その上にもニイチェの名は、一時日本文壇の流行児でさへ・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・古来勇婦の奇談は特別の事とするも、女中に文壇の秀才多きは我国史の示す所にして、西洋諸国に於ては特に其教育を重んじ、女子にして物理文学経済学等の専門を修めて自から大家の名を成すのみならず、女子の特得は思想の綿密なるに在りとて、官府の会計吏に採・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・この卑下、正直、芸術尊敬の三つのエレメントが抱和した結果はどうかと云うに、まあ、こんな事を考える様になったんだ――将来は知らず、当時の自分が文壇に立つなどは僭越至極、芸術を辱しむる所以である。正直の理想にも叶って居らん……と思うものの、また・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・骨を折って自家の占め得た現代文壇における地位だけは、婉曲にほのめかして置きたい。ただしほのめかすだけである。傲慢に見えてはならない。 ピエエル・オオビュルナンは満足らしい気色で筆を擱いた。ぎごちなくなった指を伸ばして、出そうになった欠を・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・更に、「ルポルタージュなるものは『物が人をうごかす』という唯物論的文学観によるのであり、今日この形式の文学が文壇の関心事となったこともそこに根拠があるのである」と、結ばれているが、既に現代の文学観は、「物が人を動かす」面にだけ立脚したプレハ・・・ 宮本百合子 「明日の言葉」
・・・ それに文壇では折々退治られる。 木村はただ人が構わずに置いてくれれば好いと思う。構わずにというが、著作だけはさせて貰いたい。それを見当違に罵倒したりなんかせずに置いてくれれば好いと思うのである。そして少数の人がどこかで読んで、自分・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・田舎にいてまだ人に知られていない作者で、よく文壇を動かすことのあるとき、都会へ出て来ても依然として動かしつづけているとしたら、よほどまれなその者は人物だと見てもよいと思う。 しかし結局、身辺小説といわれているものに優れた作品の多いことは・・・ 横光利一 「作家の生活」
出典:青空文庫