一 根本的用意とは何か 一概に文章といっても、その目的を異にするところから、幾多の種類を数えることが出来る。実用のための文書、書簡、報道記事等も文章であれば、自己の満足を主とする紀行文、抒情叙景文、論文等も文章である。 こゝ・・・ 小川未明 「文章を作る人々の根本用意」
・・・外国文書の飜訳、それが彼の担当する日々の勤務であった。足を洗おう、早く――この思想は近頃になって殊に烈しく彼の胸中を往来する。その為に深夜までも思い耽る、朝も遅くなる、つい怠り勝に成るような仕末。彼は長い長い腰弁生活に飽き疲れて了った。全く・・・ 島崎藤村 「並木」
・・・中でも五〇万冊の本をすっかり焼いた帝国大学図書館以下、いろいろの官署や個人が二つとない貴重な文書なぞをすっかり焼いたのは何と言っても残念です。大学図書館の本は、すっかり灰になるまで三日間ももえつづけていました。 以上の外、火災をのがれた・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・それが昔の楼蘭であることは発掘の文書で明らかになった。この死市街の南から東へかけた平坦な砂漠の水準測量をやった結果、これが昔の湖水の跡だということが推論された。それでヘディンは、タリムの下流は約千五百年の週期で振り子のように南北に振動し変位・・・ 寺田寅彦 「ロプ・ノールその他」
・・・殊に根津遊廓のことに関しては当時の文書にして其沿革を細説したものが割合に少いので、わたくしは其長文なるを厭わず饒歌余譚の一節をここに摘録する事とした。徒に拙稿の紙数を増して売文の銭を貪らんがためではない。わたくしは此のたびの草稿に於ては、明・・・ 永井荷風 「上野」
・・・一応もっとも至極の説なれども、田舎の叔母より楷書の手紙到来したることなし、干鰯の仕切に楷書を見たることなし、世間日用の文書は、悪筆にても骨なしにても、草書ばかりを用うるをいかんせん。しかのみならず、大根の文字は俗なるゆえ、これに代るに蘿蔔の・・・ 福沢諭吉 「小学教育の事」
・・・となく文明開化の春をもよおし、洋学者の輩も人に悪まれ人に忌まるるその中に、時勢やむをえざるよりして、俗世界のために器として用いらるるの場合となり、余が如きも、すなわちその器の一人にして、幕府に雇われ横文書翰翻訳の仕事を得たり。 もとより・・・ 福沢諭吉 「成学即身実業の説、学生諸氏に告ぐ」
・・・と法廷でよみあげる告発の文書の文句とは、まるでちがった本質と道ゆきとをもつことである。「伸子」の続篇を書きたいと思いはじめたのは、この時分からのことである。しかし、この願いは一九四五年の八月十五日が来るまで実現しなかった。「伸子」以後の・・・ 宮本百合子 「あとがき(『二つの庭』)」
・・・同じ事情におかれた評論家の中には、早速内務省へ個別的に自分の思想的立場を釈明した文書を出した人があり、そういう人にはすぐ特別のはからいをしたという役人の言葉であった。 中野も私も、そういうことはしまいということに相談をきめた。そして、一・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第五巻)」
・・・中共勝利とともに国内に流布した中共関係の文書の中には、かつて特務機関として奥地の情報を集めていた文書があり、獄中で検事局からの諮問に答えて上申した文書がある。それらは、侵略国日本が中国人民と中共からかすめとった収奪物でなくて何だろう。注意ぶ・・・ 宮本百合子 「五〇年代の文学とそこにある問題」
出典:青空文庫