・・・余り名文ではないが、喜兵衛は商人としては文雅の嗜みがあったので、六樹園の門に入って岡鹿楼笑名と号した。狂歌師としては無論第三流以下であって、笑名の名は狂歌の専門研究家にさえ余り知られていないが、その名は『狂歌鐫』に残ってるそうだ。 喜兵・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・この絢尭斎というは文雅風流を以て聞えた著名の殿様であったが、頗る頑固な旧弊人で、洋医の薬が大嫌いで毎日持薬に漢方薬を用いていた。この煎薬を調進するのが緑雨のお父さんの役目で、そのための薬味箪笥が自宅に備えてあった。その薬味箪笥を置いた六畳敷・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・私の外曾祖父というのは戯作好きでも書物好きでも、勿論学者でも文雅風流の嗜みがあるわけでもないただの俗人であったが、以て馬琴の当時の人気を推すべきである。 このお庇に私は幼時から馬琴に親しんだ。六、七歳頃から『八犬伝』の挿絵を反覆して犬士・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・の名吟を世に残してより、明治に至るまで凡二百有余年、墨水の風月を愛してここに居を卜した文雅の士は勝げるに堪えない。しかしてそが最終の殿をなした者を誰かと問えば、それは実に幸田先生であろう。先生は震災の後まで向嶋の旧居を守っておられた。今日そ・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・漢学の深浅を論ぜん歟、下士の勤学は日浅くして、もとより上士の文雅に及ぶべからず。 また下士の内に少しく和学を研究し水戸の学流を悦ぶ者あれども、田舎の和学、田舎の水戸流にして、日本活世界の有様を知らず。すべて中津の士族は他国に出ること少な・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
出典:青空文庫