・・・虻と蚋とは自然の斥候のようにもやもやと飛び廻った。濡れたままに積重ねておいた汚れ物をかけわたした小屋の中からは、あらん限りの農夫の家族が武具を持って畑に出た。自然に歯向う必死な争闘の幕は開かれた。 鼻歌も歌わずに、汗を肥料のように畑の土・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・蹄で落葉を蹶散らす音、これは騎兵演習の斥候か、さなくば夫婦連れで遠乗りに出かけた外国人である。何事をか声高に話しながらゆく村の者のだみ声、それもいつしか、遠ざかりゆく。独り淋しそうに道をいそぐ女の足音。遠く響く砲声。隣の林でだしぬけに起こる・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・ 右手向うの小高い丘の上から、銃を片手に提げ、片手に剣鞘を握って、斥候が馳せ下りて来た。彼は、銃が重くって、手が伸びているようだった。そして、雪の上にそれを引きずりながら、馳せていた。松木だった。 彼は、息を切らし、中隊長の傍まで来・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・ 前線から帰ってくる将校斥候はロシヤ人や、ロシアの大砲を見てきたような話をした。「本当かしら?」 和田達多くの者は、麻酔にかかったように、半信半疑になった。「ロシヤが、武器を供給したんだって? 黒龍江軍が抛って逃げた銃を見て・・・ 黒島伝治 「チチハルまで」
・・・ 日露戦争に参加して、斥候に出て捕虜になった在郷軍人は、東京の家の書生の兄弟で、いい機嫌で、その時勇戦奮闘した様子を手まねまでして話した。 沙河附近の戦の時だったそうで、「そりゃあ、貴方様、見事に働きましたぞえ、そんじゃから・・・ 宮本百合子 「農村」
・・・翌朝景一は森を斥候の中に交ぜて陣所を出だし遣り候。森は首尾よく城内に入り、幽斎公の御親書を得て、翌晩関東へ出立いたし候。この歳赤松家滅亡せられ候により、景一は森の案内にて豊前国へ参り、慶長六年御当家に召抱えられ候。元和五年御当代光尚公御誕生・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
・・・ 秀麿と父との対話が、ヨオロッパから帰って、もう一年にもなるのに、とかく対陣している両軍が、双方から斥候を出して、その斥候が敵の影を認める度に、遠方から射撃して還るように、はかばかしい衝突もせぬ代りに、平和に打ち明けることもなくているの・・・ 森鴎外 「かのように」
出典:青空文庫