・・・のみならず窮状を訴えた後、恩恵を断るのは卑怯である。義理人情は蹂躙しても好い。卑怯者になるだけは避けなければならぬ。しかし金を借りることは、――少くとも金を借りたが最後、二十八日の月給日まで返されないことは確かである。彼は原稿料の前借などは・・・ 芥川竜之介 「十円札」
・・・ 扱帯の下を氷で冷すばかりの容体を、新造が枕頭に取詰めて、このくらいなことで半日でも客を断るということがありますか、死んだ浮舟なんざ、手拭で汗を拭く度に肉が殺げて目に見えて手足が細くなった、それさえ我儘をさしちゃあおきませなんだ、貴女は・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・きなかもその上はつかぬと断る。欲い物理書は八十銭。何でも直ぐに買って帰って、孫が喜ぶ顔を見たさに、思案に余って、店端に腰を掛けて、時雨に白髪を濡らしていると、其処の亭主が、それでは婆さんこうしなよ。此処にそれ、はじめの一冊だけ、ちょっと表紙・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・けに、縁日の夜は縁起を祝って、御堂一室処で、三宝を据えて、頼母子を営む、……世話方で居残ると……お燈明の消々時、フト魔が魅したような、髪蓬に、骨豁なりとあるのが、鰐口の下に立顕れ、ものにも事を欠いた、断るにもちょっと口実の見当らない、蝋燭の・・・ 泉鏡花 「菎蒻本」
・・・念のため断るが、銑吉には、はやく女房がある。しかり、女房があって資産がない。女房もちの銭なしが当世色恋の出来ない事は、昔といえども実はあまりかわりはない。 打あけて言えば、渠はただ自分勝手に、惚れているばかりなのである。 また、近頃・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・ ――断るまでもないが、昨日の外套氏の時の落雁には、もはやお藻代の名だけはなかった。―― さて、至極古風な、字のよく読めない勘定がきの受取が済んで、そのうぐい提灯で送って出ると、折戸を前にして、名古屋の客が動かなくなった。落雁の芸妓・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・そのまま伴って来るのに、何の仔細もなかったこともまた断るに及ぶまい。 なお聞けば、心中は、単に相談ばかりではない。こうした場所と、身の上では、夜中よりも人目に立たない、静な日南の隙を計って、岐路をあれからすぐ、桂谷へ行くと、浄行寺と云う・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・ 姉は、これまでこんなことをいったものが、幾人もありましたから、またかと思いましたが、その大尽というのは、名の聞こえている大金持ちだけに、娘はすげなく断ることもできないという気がして、少なからず当惑いたしました。「どんなご用があって・・・ 小川未明 「港に着いた黒んぼ」
・・・ 迷惑に思ったが、まさか断るわけにはいかなかった。 並んで歩きだすと、女は、あの男をどう思うかといきなり訊ねた。「どう思うって、べつに……。そんなことは……」 答えようもなかったし、また、答えたくもなかった。自分の恋人や、夫・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・の音の積み重ねと、露骨な表現を避けたいいまわしに、私は感心した、そして桃子という芸者がそれを断るのを、自分は泊ることは困る、勘弁してくれという意味で「あて、かなわんのどっせ。かんにんどっせ」と含みを持たせた簡単な表現で、しかも婉曲に片づけて・・・ 織田作之助 「大阪の可能性」
出典:青空文庫