・・・「――新体詩人です」といって、私を釧路の新聞に伴れていった温厚な老政治家が、ある人に私を紹介した。私はその時ほど烈しく、人の好意から侮蔑を感じたことはなかった。 思想と文学との両分野に跨って起った著明な新らしい運動の声は、食を求めて北へ・・・ 石川啄木 「弓町より」
・・・と、僕が新体詩で歌ったのは! さまざまの考えがなお取りとめもなく浮んで来て、僕というものがどこかへ行ってしまったようだ。その間にあって、――毀誉褒貶は世の常だから覚悟の前だが――かの「デカダン論」出版のために、生活の一部を助けている教師・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・ そうサ、僕はその頃は詩人サ、『山々霞み入合の』ていうグレーのチャルチャードの飜訳を愛読して自分で作ってみたものだアね、今日の新体詩人から見ると僕は先輩だアね」「僕も新体詩なら作ったことがあるよ」と松木が今度は少し乗地になって言った。・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・この傾向をもっとはっきり表現しているのは、与謝野晶子の新体詩である。それは、明治三十七年、十月頃の「明星」に出た。題は、「君死にたまふことなかれ」という。弟が旅順口包囲軍に加わって戦争に出たのを歎いて歌ったものである。同氏のほかの短歌や詩は・・・ 黒島伝治 「反戦文学論」
・・・演劇の団体に関係した事もある、工場を経営した事もある、胃腸病の薬を発明した事もある、また、新体詩というものを試みた事だってある。けれども、一つとして、ものにならなかった。いつもびくびくして、自己の力を懐疑し、心の落ちつく場所は無く、お寺へか・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・けれどそれはすぐ消えてしまうので、懲りることもなく、艶っぽい歌を詠み、新体詩を作る。 すなわちかれの快楽というのは電車の中の美しい姿と、美文新体詩を作ることで、社にいる間は、用事さえないと、原稿紙を延べて、一生懸命に美しい文を書いている・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・惜しいかな、蕪村はこれを一篇の長歌となして新体詩の源を開く能わざりき。俳人として第一流に位する蕪村の事業も、これを広く文学界の産物として見れば誠に規模の小なるに驚かずんばあらず。 蕪村は鬼貫句選の跋にて其角、嵐雪、素堂、去来、鬼貫を五子・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
出典:青空文庫