・・・ 修錬の極致に至りますると、隠身避水火遁の術などはいうまでもございませぬ、如意自在な法を施すことが出来るのだと申すことで。 ある真言寺の小僧が、夜分墓原を通りますと、樹と樹との間に白いものがかかって、ふらふらと動いていた。暗さは暗し・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・という感想を書いたが、しかし、その時私の突いた端の歩は、手のない時に突く端の歩に過ぎず、日本の伝統的小説の権威を前にして、私は施すべき手がなかったのである。少しはアンチテエゼを含んでいたが、近代小説の可能性を拡大するための端の歩ではなかった・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・ところが、この千二百円を施すのに、丹造は幾万円の広告費を投じていることか、広告は最初の一回だけで十分だ。手前味噌の結果報告だけに万に近い広告費を投ずるとは、なんとしてもうなずけぬ……。 やられてるじゃないか。ちゃんと見抜かれてるじゃ・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・対木村戦であれほど近代棋戦の威力を見せつけられて、施す術もないくらい完敗して、すっかり自信をなくしてしまっている筈ゆえ、更に近代将棋の産みの親である花田に挑戦するような愚に出まいと思っていたのである。ところが、無暴にも坂田は出て来た。その自・・・ 織田作之助 「勝負師」
・・・全く自力を施す術はどこにもなかった。いくら危険を感じていても、滑るに任せ止まるに任せる外はなかったのだった。 飛び下りる心構えをしていた脛はその緊張を弛めた。石垣の下にはコートのローラーが転がされてあった。自分はきょとんとした。 ど・・・ 梶井基次郎 「路上」
・・・ だから土地に肥料を施す如く、人は色々な文句を作ってこれ等の情を肥かうのだ。 そうしてみると神様は甘く人間を作って御座る。ではない人間は甘く猿から進化している。 オヤ! 戸をたたく者がある、この雨に。お露だ。可愛いお露だ。 ・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・貧しい人にお金を施すのは、おまえたちには、これからあとあと、いくらでも出来ることではないか。私には、もう施しが出来なくなっているのだ。そのわけは言うまい。この女のひとだけは知っている。この女が私のからだに香油を注いだのは、私の葬いの備えをし・・・ 太宰治 「駈込み訴え」
・・・少数者への教育を、全般へ施すなんて、ずいぶんむごいことだとも思われる。学校の修身と、世の中の掟と、すごく違っているのが、だんだん大きくなるにつれてわかって来た。学校の修身を絶対に守っていると、その人はばかを見る。変人と言われる。出世しないで・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・初は宗教的儀式としてやっていた事が偶然鐘の音に対してある有利な効果のある事を発見し、次いでそれが鋳物の裂罅から来る音響学的欠点を修正するためだということに考え及び、そうして今度は意識的にそういう作業を施すようになったのかもしれないと思われる・・・ 寺田寅彦 「鐘に釁る」
・・・ 物を言わない家畜を預かって治療を施す医者の職業は考えてみるとよほど神聖なもののような気がした。入院中に受けた待遇についてなんらの判断も記憶も持ち得ないし、また帰宅しても人間に何事も話す事のできないような患者に忠実親切な治療を施すという・・・ 寺田寅彦 「子猫」
出典:青空文庫