・・・ 店の飾りや、広告の楽隊や、旗印を押し立てた自動車やは、あれは最も罪のない宣伝方法に属する。それが陽気で眩目的であるだけに効果は大概皮相的で、人の心のほんの上面をなでるだけである。そしてなでられたくない人は、自由にそれを避ける事ができる・・・ 寺田寅彦 「神田を散歩して」
・・・伏見人形に思い出す事多く、祭り日の幟立並ぶ景色に松蕈添えて画きし不折の筆など胸に浮びぬ。山科を過ぎて竹藪ばかりの里に入る。左手の小高き岡の向うに大石内蔵助の住家今に残れる由。先ずとなせ小浪が道行姿心に浮ぶも可笑し。やゝ曇り初めし空に篁の色い・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・次に停車した地蔵阪というのは、むかし百花園や入金へ行く人たちが堤を東側へと降りかける処で、路端に石地蔵が二ツ三ツ立っていたように覚えているが、今見れば、奉納の小さな幟が紅白幾流れともなく立っている。淫祠の興隆は時勢の力もこれを阻止することが・・・ 永井荷風 「寺じまの記」
・・・十二月も早や二十日過ぎなので、電車の馳せ行く麹町の大通りには、松竹の注目飾り、鬼灯提灯、引幕、高張、幟や旗のさまざまが、汚れた瓦屋根と、新築した家の生々しい木の板とに対照して、少しの調和もない混乱をば、なお更無残に、三時過ぎの日光が斜めに眩・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・ 何とかいう芝居小屋の前に来たら役者に贈った幟が沢山立って居た。この幟の色について兼ねて疑があったから注意して見ると、地の色は白、藍、渋色などの類、であった。 陶器店の屋根の上に棚を造って大きな陶器をあげてある。その最も端に便器が落・・・ 正岡子規 「車上の春光」
・・・背面の濃い杉山には白い靄が流れている雨の晴れ間に、濡れた林檎が枝もたわわに色づいており、山内劇場と染め出した浅黄の幟が、野菜畑のあぜに立っていた。〔一九三六年十一月〕 宮本百合子 「上林からの手紙」
・・・ あなたに申し上げるのを忘れましたが、この間達治さんが広島へ入営したとき、私がお送りした御餞別の僅かな金で、黄色いメリンスの幟をおつくりになりました由。その手紙をお母様からいただき、私はいろいろ感服いたしました。 私の机の上に一寸想・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・××嬢へとした幟がはためいていた。やはり人気ないそこの白い街道を歩いていたら、すぐ前の木賃宿の二階で義太夫のさわりが聞えた。ガラリと土間の障子が開いて、古びた水色ヴェールを喉に巻きつけた女が大きな皿を袖口に引こめた手で抱えて半身を現した。・・・ 宮本百合子 「山峡新春」
・・・ 懐しい日本語で、万国の労働者結合せよと書いた幟も飾ってある。 レーニン廟の赤いイルミネーションは、メーデーの夜、一時過ぎてもまだ絶えないモスクワの群集を照らしながら、レーニズムノ旗高ク五ヵ年計画ヲ四ヵ年・・・ 宮本百合子 「勝利したプロレタリアのメーデー」
・・・という論文を骨子として、反プロレタリア文学の鮮明な幟色の下に立った。同人としては中村武羅夫、岡田三郎、加藤武雄、浅原六朗、龍胆寺雄、楢崎勤、久野豊彦、舟橋聖一、嘉村礒多、井伏鱒二、阿部知二、尾崎士郎、池谷信三郎等の人々であった。中村武羅夫の・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
出典:青空文庫