・・・が、その東京の町々の燈火が、幾百万あるにしても、日没と共に蔽いかかる夜をことごとく焼き払って、昼に返す訣には行きますまい。ちょうどそれと同じように、無線電信や飛行機がいかに自然を征服したと云っても、その自然の奥に潜んでいる神秘な世界の地図ま・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・日は青々とした空に低く漂ッて、射す影も蒼ざめて冷やかになり、照るとはなくただジミな水色のぼかしを見るように四方に充ちわたった。日没にはまだ半時間もあろうに、モウゆうやけがほの赤く天末を染めだした。黄いろくからびた刈株をわたッて烈しく吹きつけ・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・「ははあ、蝙蝠は、あれは、むかし鳥獣合戦の日に、あちこち裏切って、ずいぶん得して、のち、仕組みがばれて、昼日中は、義理がわるくて外出できず、日没とともに、こそこそ出歩き、それでもやはりはにかんで、ずいぶん荒んだ飛びかたしている。そう・・・ 太宰治 「二十世紀旗手」
・・・三日目には日没までに帰って来い。おくれたら、その身代りを、きっと殺すぞ。ちょっとおくれて来るがいい。おまえの罪は、永遠にゆるしてやろうぞ。」「なに、何をおっしゃる。」「はは。いのちが大事だったら、おくれて来い。おまえの心は、わかって・・・ 太宰治 「走れメロス」
・・・もはや日没ちかく、残光を浴びて山の峯々が幽かに明るく、線の起伏も、こだわらずゆったり流れて、人生的にやさしく、富士山の、人も無げなる秀抜と較べて、相まさること数倍である、と笠井さんは考えた。二千八百九十九米。笠井さんはこのごろ、山の高さや、・・・ 太宰治 「八十八夜」
・・・たしかに、雨傘をこっそり開く音である。日没の頃から、雨が冷たく降りはじめていたのである。誰か、外に立っているにちがいない。私は躊躇せずに窓をあけた。たそがれ、逢魔の時というのであろう、もやもや暗い。塀の上に、ぼんやり白いまるいものが見える。・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・ 「日没の唄。」蝉は、やがて死ぬる午後に気づいた。ああ、私たち、もっと仕合せになってよかったのだ。もっと遊んで、かまわなかったのだ。いと、せめて、われに許せよ、花の中のねむりだけでも。ああ、花をかえせ! ミルクを、草原を・・・ 太宰治 「HUMAN LOST」
・・・その結果として日出後または日没前の一、二時間には太陽が特別に早く動くような気がする。 山の傾斜面でもその傾斜角を大きく見過ぎるのが通例である。 これらと少し種類はちがうが、紙上に水平に一直線を描いて、その真中から上に垂直に同長の直線・・・ 寺田寅彦 「観点と距離」
・・・代言人の所へ行ってちゃんと相談している。日没後日出前なれば彼の家具を運び出しても差配は指を啣えて見物しておらねばならぬと云う事を承知している。それだから朝の三時頃から大八車を※って来て一晩寝ずにかかって自分の荷を新宅へ運んだのである。彼はす・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・この頃、仕事に興じて大体机に向って一日を暮しているのですが、この間いねちゃんがきて、もう日没近くであったが中井の先の下落合の方の野っぱらを散歩して、いい気持でした。その丘の雑木林の裾をめぐる長い道は東長崎の方へまでつづいているのだそうです。・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
出典:青空文庫