・・・そのまた枕もとには看護婦が一人、膝の上にひろげた病床日誌へ近眼の顔をすりつけるように、せっせと万年筆を動かしていた。 看護婦は洋一の姿を見ると、ちょいと媚のある目礼をした。洋一はその看護婦にも、はっきり異性を感じながら、妙に無愛想な会釈・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・と、病床日誌に死の原因を書きつけられていた。 五 今度は、山のような落盤の上に下敷きとなっている十四人を掘り出さなきゃならなかった。洞窟の奥の真暗な横坑にふさぎ込められていた土田は、山を這い渡る途中に、又、第二の落・・・ 黒島伝治 「土鼠と落盤」
・・・棚曝しになった聖賢の伝記、読み捨てられた物語、獄中の日誌、世に忘れられた詩歌もあれば、酒と女と食物との手引草もある。今日までの代の変遷を見せる一種の展覧会、とでも言ったような具合に、あるいは人間の無益な努力、徒に流した涙、滅びて行く名――そ・・・ 島崎藤村 「並木」
・・・機関長室には顔の赤い人の好さそうなのが航海日誌と云いそうなものへ何か書いている。ここへ色の青い恐ろしく痩せた束髪の三十くらいの女をつれた例の生白いハイカラが来て機関長と挨拶をしていたが、女はとうとうこの室の寝台を占領した。何者だろう。黒紋付・・・ 寺田寅彦 「高知がえり」
・・・ そのころ、わたくしはわが日誌にむかしあって後に埋められた市中溝川の所在を心覚に識して置いたことがある。即次の如くである。 京橋区内では○木挽町一、二丁目辺の浅利河岸○新富町旧新富座裏を流れて築地川に入る溝渠○明石町旧居留地の中央を・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・わたくしはもし当時の遊記や日誌を失わずに持っていたならば、読者の倦むをも顧ずこれを採録せずにはいなかったであろう。 わたくしは遊廓をめぐる附近の町の光景を説いて、今余すところは南側の浅草の方面ばかりとなった。吉原から浅草に至る通路の重な・・・ 永井荷風 「里の今昔」
序ぼくは農学校の三年生になったときから今日まで三年の間のぼくの日誌を公開する。どうせぼくは字も文章も下手だ。ぼくと同じように本気に仕事にかかった人でなかったらこんなもの実に厭な面白くもないものにちがいな・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・書庫には、出島和蘭屋敷の絵巻物、対支貿易に使用された信牌、航海図、きりしたんころびに関する書つけ、シーボルトの遺物、フェートン号の航海日誌、羅馬綴の日本語にラテン語を混えた独特な趣味あるミッション・プレス等々価値あるものが沢山ある。 其・・・ 宮本百合子 「長崎の一瞥」
・・・窓際の硝子蓋の裡に天正十五年の禁教令出島和蘭屋敷の絵巻物、対支貿易に使用された信牌、航海図、切支丹ころびに関する書類、有名なフェートン号の航海日誌、ミッション・プレス等。左の硝子箱に、シーボルト着用の金モウル附礼服が一着飾ってある。小さい陶・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
・・・「終戦日誌」「一人行く」「こういう女」などは、作者のアナーキスティックな資質は変らないが、戦時中彼女がこうむった抑圧の記録として、また中国捕虜のおそるべき運命の報告書として、強い感銘を与えるものであった。その後この作家が「地底の歌」という新・・・ 宮本百合子 「婦人作家」
出典:青空文庫