にちろきょうやく【日露協約】
明治40年(1907)から大正5年(1916)にかけて、4回にわたって日本とロシアとの間で結ばれた協約。米英の中国進出に対応する目的で、中国における両国の利権の擁護、勢力範囲を設定した。
にちろせんそう【日露戦争】
明治37年(1904)から翌年にかけて、満州(中国東北部)・朝鮮の支配権をめぐって日本とロシアとの間で行われた戦争。日本は旅順攻撃・奉天の会戦・日本海海戦などで勝利を収めたが、戦争遂行能力が限界に達し、ロシアも革命勃発などによって戦争終結を望み、米国大統領T=ルーズベルトの斡旋によりポーツマスで講和条約を締結。→ポーツマス条約
にちろわしんじょうやく【日露和親条約】
安政元年12月21日(1855年2月7日)下田で、日本とロシアとの間に結ばれた条約。下田・箱館・長崎を開港、択捉 (エトロフ) ・得撫 (ウルップ) 島間を国境とし、樺太を両国雑居地と定めた。下田条約。日露通好条約。
にちろつうこうじょうやく【日露通好条約】
⇒日露和親条約