・・・ 鴎外は早熟であった。当時の文壇の唯一舞台であった『読売新聞』の投書欄に「蛙の説」というを寄稿したのはマダ東校に入学したばかりであった。当時の大学は草創時代で、今の中学卒業程度のものを収容した。殊に鴎外は早熟で、年齢を早めて入学したから・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・おきみ婆さんの言葉はずいぶんうがちすぎていたけれど、私は子供心にうなずいて、さもありなんという早熟た顔をしてみせました。それというのも、もうそのころには、おれは父親に可愛がられていないという気持がそうとう強くこびりついていたからです。しかし・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・その学校は土地柄風紀がみだれて、早熟た生徒は二年生の頃から艶文をやりとりをし、三年生になれば組の半分は「今夜は不動様の縁日だから一緒に行こうよ」とか、「この絵本貸してあげるから、ほかの子に見せないでお読みよ」とか、「お前さんの昨日着て来た着・・・ 織田作之助 「妖婦」
・・・ この三郎の感傷的な調子には受け売りらしいところもないではなかったが、まだ子供だ子供だとばかり思っていたものがもはやこんなことを言うようになったかと考えて、むしろ私にはこの子の早熟が気にかかった。 震災以来、しばらく休みの姿であった・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・ 彼は僕などより早熟で、いやに哲学などを振り廻すものだから、僕などは恐れを為していた。僕はそういう方に少しも発達せず、まるでわからん処へ持って来て、彼はハルトマンの哲学書か何かを持ち込み、大分振り廻していた。尤も厚い独逸書で、外国にいる・・・ 夏目漱石 「正岡子規」
・・・と云う小説の中の青年のような早熟の人でおいでになったら、わたくしはきっとあなたのおいでをお断り申しただろうと存じます。 あなたとわたくしとの中は、夢より外に一歩も踏み出さない中だと云うことが、あのころわたくしには分かっていました。あなた・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・ 丁度その学校を出ようとする前の年頃から年よりは早熟て居た私は、仲間とすっかり違った頭になって居たので親しい人も出来ずジイッと一つ事を思いふけったり、小供小供した事をしてさわいで居る仲間の者達の幼げな様子と自分の心を引きくらべて見たりし・・・ 宮本百合子 「M子」
・・・ そういう熱っぽい空気の裡で、早熟な総領娘のうける刺戟は実に複雑であった。性格のひどく異った父と母との間には、夫婦としての愛着が純一であればあるほど、むきな衝突が頻々とあって、今思えばその原因はいろいろ伝統的な親族間の紛糾だの、姑とのい・・・ 宮本百合子 「時代と人々」
・・・自身のロマネスクなるものの源泉を、フランスの社交小説において、こんにち語ることのできる三島由紀夫も、おそらくは戦時下の早熟な少年期を、「抵抗」の必然のなかったころのフランス文学に、それが、どれほど歴史の頁からずれつつあるかを知らずに棲んだの・・・ 宮本百合子 「「下じき」の問題」
・・・皇太子が、唯一の御馳走は、カレーライスだと思っているということについて、人々は小生意気で早熟な闇成金の息子たちに対するのとはちがった、ほほ笑みをもらすのである。皇后が動物園へ行って、おもしろそうに笑って象を見ている、その姿に、世間を知らない・・・ 宮本百合子 「戦争はわたしたちからすべてを奪う」
出典:青空文庫