・・・坪内君が世間から尊敬せらるゝのは早稲田大学の元老、文学博士であるからで、舞踊劇の作者たり文芸協会の会長たるは何等の重きをなしていないからである。 社会をして文人の権威を認めしめよ。文人は社会に対して宣戦せよ。"Murmur&q・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・ちょうどこの百七十七回の中途で文字がシドロモドロとなって何としても自ら書く事が出来なくなったという原稿は、現に早稲田大学の図書館に遺存してこの文豪の悲痛な消息を物語っておる。扇谷定正が水軍全滅し僅かに身を以て遁れてもなお陸上で追い詰められ、・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・これ以上一語を加うる必要がない。早稲田大学は本と高田、天野、坪内のトライアンビレートを以て成立した。三君各々相譲らざる功労がある。シカシ世間が早稲田を認めるのは、政治科及び法律科が沢山の新聞記者や代議士や実業家を輩出したにも関らず、政治科で・・・ 内田魯庵 「明治の文学の開拓者」
・・・北村君は方々の私立学校を経て、今の早稲田大学が専門学校と云った時代の、政治科にいた事もあったと聞いた。当時の青年はこう一体に、何れも政治思想を懐くというような時で、北村君もその風潮に激せられて、先ず政治家になろうと決したのだが、その後一時非・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・ ちょうど大学の三年の時だったか、今の早稲田大学、昔の東京専門学校へ英語の教師に行って、ミルトンのアレオパジチカというむずかしい本を教えさされて、大変困ったことがあった。あの早稲田の学生であって、子規や僕らの俳友の藤野古白は姿見橋――太・・・ 夏目漱石 「僕の昔」
・・・山岸博士の推薦によって早稲田大学の講師となる。 一九一八年。記すべきほどのことなし。ただかなり真面目に勉強し続けていたので、肚の中に何かが漸く発育し始めたような気がする。 一九一九年。「津村教授」を帝国文学に発表。一行の批評も受けず・・・ 宮本百合子 「山本有三氏の境地」
出典:青空文庫