・・・見上げると八合目まで雪になったマッカリヌプリは少し頭を前にこごめて風に歯向いながら黙ったまま突立っていた。昆布岳の斜面に小さく集った雲の塊を眼がけて日は沈みかかっていた。草原の上には一本の樹木も生えていなかった。心細いほど真直な一筋道を、彼・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ 潮風で漆の乾びた、板昆布を折ったような、折敷にのせて、カタリと櫃を押遣って、立てていた踵を下へ、直ぐに出て来た。「少人数の内ですから、沢山はないんです、私のを上げますからね、はやく持って行って下さいまし。」 今度はやや近寄って・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・ 思出す、あの……五十段ずつ七折ばかり、繋いで掛け、雲の桟に似た石段を――麓の旅籠屋で、かき玉の椀に、きざみ昆布のつくだ煮か、それはいい、あろう事か、朝酒を煽りつけた勢で、通しの夜汽車で、疲れたのを顧みず――時も八月、極暑に、矢声を掛け・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・ 小店の障子に貼紙して、 (今日より昆布 ……のんびりとしたものだ。口上が嬉しかったが、これから漫歩というのに、こぶ巻は困る。張出しの駄菓子に並んで、笊に柿が並べてある。これなら袂にも入ろう。「あり候」に挨拶の心得で、「おか・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・ 若狭鰈――大すきですが、それが附木のように凍っています――白子魚乾、切干大根の酢、椀はまた白子魚乾に、とろろ昆布の吸もの――しかし、何となく可懐くって涙ぐまるるようでした、なぜですか。…… 酒も呼んだが酔いません。むかしの事を考え・・・ 泉鏡花 「雪霊続記」
・・・猪の肉を売る店では猪がさかさまにぶら下っている。昆布屋の前を通る時、塩昆布を煮るらしい匂いがプンプン鼻をついた。ガラスの簾を売る店では、ガラス玉のすれる音や風鈴の音が涼しい音を呼び、櫛屋の中では丁稚が居眠っていました。道頓堀川の岸へ下って行・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・ 山椒昆布を煮る香いで、思い切り上等の昆布を五分四角ぐらいの大きさに細切りして山椒の実と一緒に鍋にいれ、亀甲万の濃口醤油をふんだんに使って、松炭のとろ火でとろとろ二昼夜煮つめると、戎橋の「おぐらや」で売っている山椒昆布と同じ位のうまさに・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・焔は、みるみるまっくろになり、海の底で昆布の林がうごいているような奇態なものに見えた。緑の焔はリボンのようで、黄色い焔は宮殿のようであった。けれども、私はおしまいに牛乳のような純白な焔を見たとき、ほとんど我を忘却した。「おや、この子はまたお・・・ 太宰治 「玩具」
・・・――海ノ底デネ、青イ袴ハイタ女学生ガ昆布ノ森ノ中、岩ニ腰カケテ考エテイタソウデス、エエ、ホントニ。婦人雑誌ニ出テイタ、潜水夫タチノ座談会。ソノホカニモ水死人、サマザマノスガタデ考エテイルソウデス、白イ浴衣着タ叔父サンガ、フトコロニ石ヲ一杯イ・・・ 太宰治 「創生記」
・・・な半狂乱の恰好で青森行きの汽車に乗り、途中何度も何度も空襲に遭って、いろいろな駅でおろされて野宿し、しまいには食べるものが無くなって、睦子と二人で抱き合って泣いていたら、或る女学生がおにぎりと、きざみ昆布と、それから固パンをくれて、睦子はう・・・ 太宰治 「冬の花火」
出典:青空文庫